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(51)一日の労働の対価

「お疲れさま」と米9合

 大勢の人がつどう都・平城京では、たくさんの、そしてさまざまな仕事が必要とされました。街に出てみましょう。工事現場で働く人々や荷物の運送業者、仏像造りの職人から洗濯を請け負う女性まで、本当にいろいろな人がいます。

 奈良時代、労働者たちには給料として、お米や塩などの食料が支給されました。「塩がないとは何事か!」と怒りの叫びを書きつけた木簡からは、塩が食事に欠かせない調味料だった様子がうかがわれます。お米は1日2升、今の9合(1600cc、1・4キログラム)ほどが支給の基準でした。

 けれど、1日9合もご飯を食べられる人は多くないでしょう。どうやら、あまる分はおかずに替えてもらうか、あるいはお米のまま受け取り、ほかの品物と交換したりしたようです。

 ところで、給料は現金で支払われる場合もありました。8世紀のはじめに和同開珎(わどうかいちん)が発行された頃は日当1文が原則でしたが、のちには1日10文が相場になったようです。ちょうど米2升が買えるくらいの金額にあたります。

 でも、今のお米の値段を基に計算すると、10文は1000円にもなりません! お米でもらえば、食べきれないほどなのに・・・。全部お米でくれればいいのに、と思うのは、私だけでしょうか?

 

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塩がないことへの怒りがつづられた平城宮跡出土の木簡

(奈良文化財研究所研究員 山本祥隆)

(読売新聞2014年4月13日掲載)