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(48)平城京の人口と役人たち

職種のるつぼ 外国からも

 現代の都市は、人口が多いほど、あるいは人口密度が高いほど、大きな都市とみなされます。奈良県最大の都市である奈良市の人口は、現在36万人です。

 では、奈良時代最大の都市、平城京の人口は何万人だったのでしょうか。古くは20万人と推定されましたが、最近では5~10万人と考えられています。

 その住民構成は、貴族や役人とその家族、一般庶民、商人や僧侶、物づくりの工人など、さまざまな身分や職業の人々からなっていました。また、諸国から納税のために上京した人々や、工事に駆り出された人夫などの短期居住者や、はるばる海を越えてやってきた外国の人々も滞在しました。

 さて、平城宮には二官八省と呼ばれる中央官庁と、それに付属するたくさんの役所がありました。平城宮に勤務する役人の数は、実に1万人と推定されます。そのうち、五位以上の「貴族」は150人、六位以下でもよいポストについていた中・下級役人は600人ほどでした。官位をもち、よい役職についていた「お役人」はごく一握りで、大多数の人は、下働きなどだったようです。

 早朝、日の出前に、ぞろぞろと通勤する役人たち。彼らが平城宮の中に吸い込まれていく姿は、現代の通勤の光景とそう変わらないものだったのかもしれません。

 

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(奈良文化財研究所研究員 和田一之輔)◇イラスト・岡本友紀

(読売新聞2014年3月23日掲載)

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