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出土品と伝世品

2014年7月

 あたりまえのことですが、土の中から出てきたものが出土品。だから、遺跡を掘って出てきたものは、みな出土品ということになりますが、世の中には古いものであっても埋まることなく大事に保存されてきたものがあり、それを伝世品と呼びます。

 4月の人事異動で博物館から研究所へ転任してきて、久しぶりに発掘現場に立ちながら思うことは、同じ時代のものでも出土品と伝世品では、見えてくる世界が本当に違うということです。国立博物館は、さまざまな文化財を収集・保管・展示するところですから、もちろん出土品も取り扱ってはいるのですが、日本では国立博物館が発掘をすることはめったにないので、日常的に接する機会は伝世品のほうが圧倒的に多いのです。

 しかし、伝世品の多くは先人たちが意識して残そうとしてきたものですから、そこには強い選択が働いていて、基本的には大事であるとか、貴重だと考えられていたものが多くを占めています。これに対して、いらないから捨てられたものが多いというのが出土品の特徴です。もちろん、墳墓の副葬品など大事なものであっても意図的に埋められることはあるので、先人達が貴重視したものが遺跡から全く出土しないわけではありません。しかし、基本的に生活遺跡からの出土品は、壊れたら捨てられてしまうような日常品が大半です。

 こう言うと、出土品よりも伝世品のほうに価値があるのではないかと誤解されてしまうかもしれませんが、歴史研究上の資料として出土品には伝世品にない価値があり、けっして軽視してよいというものではありません。なぜなら、人間の生活というのは圧倒的に多数の日常品と、少数の貴重品・奢侈品から成り立っているのであって、氷山の一角に過ぎない貴重品・奢侈品だけを研究しても、歴史の全体像を明らかにすることはできないからです。それに、出土品の世界から貴重品など重要視されていたものの研究ができないわけではありません。

 先ほども述べた墳墓の副葬品に加え、ヴェスヴィオ火山の爆発で埋まってしまったイタリアの古代都市ポンペイのように、突発的な不慮の災害に遭遇した時には、しばしば持ち出しきれなかった貴重品類が遺跡の中に埋もれてしまうということが起きるのです。ここでは、そんな事例を紹介しましょう。

 写真1は、京都国立博物館所蔵の中国製の天目茶碗です。現在の中国福建省にある建窯(けんよう)で南宋時代に焼かれ、後に日本へともたらされたもので、黒い器体と釉薬に浮き出た細かな縞が大きな特徴です。室町時代には将軍が使ってもおかしくない茶道具として大変貴重視されていましたし、現在でも古美術品としての評価は高く、買うとしたら私の給料の何年分をつぎ込む必要があるのか…、という代物です。

 それだけ重要視されてきたものですから、当然のことながら遺跡から同様の建窯産天目茶碗が出土することはめったにありません。しかし、今までに日本国内で2例だけ見たことがあり、その1例が写真2の興福寺一乗院跡出土品です。これは、昭和38年(1963)に当研究所が行った発掘調査の出土品で、寛永19年(1642)の火災で焼け焦げた上に破損したため、捨てられたと考えられるものです。もう1例は、天文元年(1532)に焼き討ちされた京都の山科本願寺跡からの出土品で、やはり焼け損じた状態で出土しました。

 いじましいとは思いながらも、「焼けたり割れたりしていなければ…、いったいどれだけの値が付くことやら」と、つい考えてしまうというものです。

 

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写真1 建窯(中国福建省)産の天目茶碗(京都国立博物館蔵)

 

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写真2 興福寺一乗院跡出土の建窯産天目茶碗

      (考古第二研究室長 尾野善裕)

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