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(21)古代の遺跡破壊

墳丘削り 新都の礎築く

 平城宮跡(奈良市)の北端に小山のように残る市庭(いちにわ)古墳。この古墳は本来、全長253メートルの巨大な前方後円墳でした。平城宮の建設時、宮の敷地に入る前方部が削られ、濠(ほり)も埋め立てられ、後円部の一部だけが残されました。

 同じく平城宮跡の中にあった神明野(しめの)古墳。これも全長114メートルの前方後円墳でしたが、墳丘は完全に削られ、その上に内裏が建設されました。このように平城宮の建設時には、大規模な遺跡破壊があったのです。

 これらの壊された古墳は、平城遷都の約300年前に造られた古墳です。誰の墓なのか、すでに忘れ去られていたのでしょうか。工事で多くの埴輪(はにわ)や葺(ふ)き石、副葬品が出土したはずです。もしかしたら遺骸(いがい)も残っていたかも知れません。

 平城京の建設工事が進む709年には、「工事中に墳墓を見つけたら、丁寧に埋め戻して魂を鎮めるように」との命令が出されています。新都に祟(たた)りが及ぶのを恐れてのことでしょう。

 現在、市庭古墳は平安時代の平城(へいぜい)天皇陵として管理され、立ち入ることはできません。それでもこの古墳を見ると、平城宮の建設に注ぎ込まれたエネルギーの大きさがしのばれます。

 

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平城宮造営によって破壊された古墳の一部(1964年10月、奈良市で)

(奈良文化財研究所研究員 川畑純)

(読売新聞2013年9月8日掲載)