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気候変動で危機に瀕する文化遺産

2014年5月

 今年(2014年)の2月から3月にかけて、私は文化庁の事業(文化遺産保護国際貢献事業・専門家派遣)で大洋州のツバル、キリバス、フィジーの3か国に行ってきました。その目的は、近年の急激な気候変動によって、危機に瀕する可能性のある文化遺産についての調査でした。

 世界をとりまく問題のなかでも、気候変動はもっとも深刻なもののひとつです。とりわけCO2などの温室効果ガスの排出が地球温暖化の大きな原因と考えられており、その排出を規制するために「京都議定書」が1997年に締結(第3回気候変動枠組条約締約国会議)されたことは、みなさんもご存知のことでしょう。

 地球温暖化はさまざまな問題を引き起こすと考えられていますが、特に海面の上昇によって太平洋の小さな島国、とりわけツバルやキリバスといったサンゴ礁で出来た島(環礁)は国土自体が沈没してしまうことが懸念されています。

 海面上昇の影響は文化遺産にもおよぶことが予想されます。いくつかの遺跡は、それ自体が水没したり、あるいは波の浸食を受けて削られたりすることによって、消滅の危機に瀕しています。しかし今回、現地に行ってわかったことは、景観や無形文化遺産といった文化遺産も深刻な危機に瀕しているという実情でした。

 例えば、ツバルやキリバスではミズズイキ(Cyrtosperma)というイモを主食としていますが、この伝統食が今、存続の危機に瀕しています。環礁には川も湖もないので水資源が乏しいのですが、地面の下には淡水を蓄えた層があります。地面を掘りくぼめると水が湧き出てプールのようにたまるので、そこにミズズイキを植えて育ててきました。こうした耕地のことを「ピット耕地」と呼び、環礁の文化的景観の特徴のひとつでもありました。ところが近年、海面が上昇してきたことにより、地下に帯水していた淡水に海水が混じるようになりました。ピット耕地に利用してきた地下水の塩分濃度も高くなったために、ミズズイキの生産量も大きく減少してしまいました。特にツバルでは深刻な状況で、ほとんどのピット耕地が放棄されてしまいました。

 伝統食であるミズズイキの生産量が減ったため、こうした地域では以前にもまして、米や小麦などの輸入食料に頼らざるを得なくなりました。またミズズイキは結婚式や葬式などの儀礼においても重要な役割を果たしていましたが、そうした伝統的儀礼のあり方も変化せざるを得なくなってきました。つまり、地下水に海水が混ざるという現象をひとつとらえてみても、農耕や食文化、伝統文化などさまざまな文化の側面に影響を与えることとなるのです。

 極端な話、国土が完全に沈没してしまう以前に、その国の文化が維持できない状況に追い込まれてしまう可能性が高いのです。

 気候変動というあまりにも圧倒的な力の前に、私たちができることは限られているかもしれません。しかし危機に瀕したこうした文化遺産を守るため、何らかの手を打つことはまさに緊急の課題です。変容・消滅の危機に瀕した文化を記録したり、あるいは変化していく環境に適応できるように検討したり、さらにはそうしたことを行うための技術移転や人材育成をしたりするのも、ひとつの手立てかもしれません。しかしそれだけではなく、ここで今まさに起こっている出来事を、できるだけ多くの世界の人々に知ってもらうということも、大事な手立てだと思います。

 私たち日本は、これまで温室効果ガスの削減や省エネ化など、気候変動に対するさまざまな対策を世界に先駆けて実施してきました。しかし2011年3月の東日本大地震とそれにともなう原発事故の後、私たちはこれまでにない規模で化石燃料を輸入・消費し続けており、温室効果ガス排出のワースト国のひとつになっていることを自覚すべきでしょう。

 そのため、気候変動で危機に瀕する文化遺産を守ることは、私たちの「責任」と言えるのです。

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海面上昇により水没してしまった土地(キリバス・タラワ島)

 

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ピット耕地に植えられたミズズイキ(キリバス・タラワ島)

      (企画調整部 主任研究員 石村智)