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(7)計画都市の建設

天体の動き 測量に応用

 奈良の都・平城京は、中国・唐の長安の都(現・西安市)をモデルに造られた計画的な都市でした。東西約5・8キロ、南北約4・8キロの広さがあり、3万~10万人の人々が暮らしていたと考えられています。この平城京は、東西・南北に規則正しく走る道路で、碁盤の目のように整然と区画されていました。

 この計画的な都市(道路網)の建設には、高度な測量技術が必要になります。人工衛星や方位磁石がなかった時代に、どのように正確な方位を知ったのでしょうか。

 当時の測量方法を書いた中国の書物によると、垂直に立てた棒の周りに円を描き、日の出と日の入りの時間に、棒の影と円が交わる部分に印をして、それぞれを結ぶと東西になると書かれています。また、北極星付近の星の動きから、東西を知ったという説もあります。

 いずれにしても、碁盤の目状の道路を備えた巨大な街並みの建設は、最新の測量技術を使っても大変なこと。1300年も前の人々は、天体の運行を応用して、整然とした都市を造り上げたのです。古代の知恵と技術に脱帽です。

 

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太陽を使った方位の出し方

(奈良文化財研究所研究員 青木敬)

(読売新聞2013年5月26日掲載)

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