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(1)遺跡なぜ地下に?

都の移転後 田畑に転用

 遺跡は、なぜ地下に埋もれているのでしょうか。

 埋まった理由は、様々です。洪水の土砂や、火山灰で埋まった遺跡もありますが、奈良市の平城宮跡や、橿原市の藤原宮跡は、別の理由で埋まりました。

 理由の一つは、腐植土です。落ち葉や枯れ草などの植物が分解され、腐植土となって積もり、地下に埋もれていったと考えられます。ちりも積もれば山となる。1年に0・5ミリ積もれば、1300年で65センチにもなります。

 さらに別の理由もあります。

 平城宮跡や藤原宮跡を掘ると、まず田や畑の土が出てきます。この田畑の土のさらに下が、古代の層です。平城宮や藤原宮が都でなくなると、急速に田畑になりました。

 田畑を作るときには、平らにするために土を盛ったり、耕作に適した土を運び込んだりします。こうして遺跡は埋まっていったのです。

 田畑として利用され続け、最小限の破壊で済んだこと。これが、平城宮跡や藤原宮跡が今日まで保存された大きな要因の一つです。大地に刻まれ、地中に埋もれた歴史、それが遺跡なのです。

 

遺跡なぜ地下に.jpg

(奈良文化財研究所研究員 山崎健)

(読売新聞2013年4月7日掲載)

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