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明らかになった設計原理-高松塚古墳の石室-

2014年4月

 地下に埋もれている遺跡を発掘するにあたっては、予め周辺の調査成果や検出が予想される遺構の類例などを把握した上で、調査に臨みます。2006年10月から2007年9月にかけて実施した高松塚古墳の石室解体作業では、石室の石材ごと壁画を取り出すという海外にも前例のない困難な作業に直面することになりましたが、このときの発掘調査でも、高松塚古墳と類似するいくつかの古墳の構造をイメージしながら調査にあたりました。とりわけ、発掘に従事した我々が強く頭に描いていたのは、高松塚古墳の石室と「兄弟」関係にあると言われてきた、石のカラト古墳の石室の構造でした。

 奈良市と木津川市にまたがって所在する石のカラト古墳は、平城ニュータウンの建設にともなって奈文研が1979年に発掘調査を実施しました。石のカラト古墳の石室は、高松塚古墳と同じく、二上山産出の凝灰岩16枚を箱形に組み上げたものです。驚くことに16枚の石材は、いずれも南北方向の長さがほぼ3尺(1尺29.5cm×3=88cm)となるよう正確に加工されており、その結果、南北に壁石3枚を組み合わせた長さ9尺(265cm)が石室の内法長となっていました。

 一方、外法長は12尺(354cm)で、これは天井石および床石を南北に4枚を組み合わせた値となります。さらに南北の壁石は、それぞれ厚みが1.5尺(45cm)に加工されており、壁石全体の南北の長さは、東・西壁石の9尺に南・北の壁石の厚み1.5尺×2を加えた12尺となり、外法長に一致します。つまり、石のカラト古墳の石室は完成時に、内からみても外から見ても、石材同士がピタリと組合うよう入念に設計されていたのです(図2左)。

 高松塚古墳の調査では、この石のカラト古墳の状況をイメージしながら石室の検出に臨みましたが、予想に反して高松塚古墳の石室では個々の石材が不揃いでした(図1)。とりわけ、最も北側の天井石に他の天井石とは大きさや形状が全く異なるものが使用されており、この点には現場に居合わせた調査員全てが首を傾げざるを得ませんでした。高松塚古墳の石室には明確な設計原理が存在したのだろうか、との疑問が脳裏をよぎりました。

 しかしながら、全体の正確な図面を作成した上で改めて石のカラト古墳の石室と比較してみると、天井石を除く内法・外法長は両者でほぼ一致することが分かりました。高松塚古墳では、一部に長さ3尺を逸脱する石材を使用しながらも、全体の組合せの中で寸法差を解消し、石のカラト古墳と同様に、内法長9尺、外法長12尺となるように築かれていたのです(図2右)。北側の天井石については、何らかの理由で他から転用されたものと考えられますが、そうした天井石の変則的な部分を除くと、石のカラト古墳と高松塚古墳の石室の設計原理は同じであったとみることができます。高松塚古墳の石室は、石のカラト古墳の石室を直接のモデルにして、構築方法をいくぶん簡略化して築かれたものだったのです。

 これまで高松塚古墳では、極彩色で描かれた壁画に関心が集中してきましたが、近年の発掘調査により、壁画以外の情報からも高松塚古墳の位置づけを検討するこが可能になってきました。ここで紹介したのは、そのほんの一例ですが、高松塚古墳の石室が壁画のない石のカラト古墳の石室と同じ設計原理で築かれたことが鮮明になったことで、改めて高松塚古墳に壁画が描かれたことの特殊性が浮き彫りになったと言えるでしょう。

 

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図1 高松塚古墳石室の外観(3Dモデル画像)

図2 石のカラト古墳と高松塚古墳の石室寸法の比較

      (都城発掘調査部主任研究員 廣瀬 覚)

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