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史跡等の意義を伝えるための空間デザイン

2014年2月

 当研究所本庁舎の近くを走る近鉄奈良線が開通したのは、今から100年前のことだそうです。ちょうどその頃、平城宮跡における最初の整備事業が、1913年に結成された奈良大極殿阯保存会により行われています。1922年の史跡指定後もさらに整備され、その範囲は第二次大極殿を中心として内裏南半と朝堂地区の一帯に及びました。当時は、史跡を顕彰して範囲を明示することを主目的としており、標石・記念碑の設置、土壇の修復、水路の改修、記念樹の植栽が行われています。平城宮跡資料館にも掲げてある1962年の航空写真を見ると、水田の中にこの一画が整備されている状況や、線路はここをよけて通されたことが分かります。この区域は、その後も従来の整備手法が引き継がれ広々とした落ち着きのある空間として整備・維持され、現在は桜の名所としても知られる清々しい景観が形成されています。

 平城宮跡が数度の追加指定を経た昭和40年代頃から、地下に埋まっているために専門家以外には理解しにくい史跡の価値を分かりやすく市民に伝えることが、全国的に課題として認識されるようになりました。1978年の「特別史跡平城宮跡保存整備基本構想」は、平城宮跡を「遺跡博物館」として整備、活用すると謳っており、「古代都城文化を体験的に理解できる場とする」としています。そのような理念に基づき、発掘遺構の展示・模式表示の他、往時の空間を再現・説明するための復元建物などの展示物の設置が屋外において進められ、現在ではこの手法は日本全国の史跡整備において広く用いられています。

 他方で、これらと異なるタイプの手法もあります。2001年に起きたアメリカ同時多発テロを覚えている方は多いのではないでしょうか。ニューヨーク市では世界貿易センタービル2棟が崩壊し、多数の人々が犠牲になりました。現在、その場所は9/11メモリアルという追悼の場所として整備されています。米国内外からたくさんの人が訪れており、現地では10カ国語ものパンフレットが配布されています。かつて2棟のビルが建っていた位置は、それぞれ四角い巨大なプール状に整備され、その四周の黒い壁面から底へと滝のように水が流れ落とされています。その落ちる水を見ていると、まさに崩れ落ちるビルの光景が重なって思い起こされます。また、さらに地下へと流れていく水はあたかも永遠に失われていくかのようです。このデザインは「不在の投影」をコンセプトとしたものであり、ビルの位置や平面規模を示しつつ、この地で起きたことの意味を直感的に分かりやすく伝えていると思います。また、それは外国人である日本人にとっても共通な感覚として理解できるユニバーサルな(誰にでもわかりやすい)ものでもあります。

 これに対して、日本の史跡原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)は「被爆の証人、悲劇の証」として、破壊された形状のまま保存されていますが、その近くではある空間デザイン手法が効果的に用いられています。毎年、平和記念式典が開かれ黙祷が捧げられる平和記念公園では、原爆ドームへ向けて軸線(ビスタ)が通され、300m離れた慰霊碑から原爆ドームを象徴的に望むことができるようになっているのです。この景観デザインは高く評価されており、平和記念公園は戦後に造られた公園でありながら既に国の名勝に指定されています。

 これらは現代の追悼や祈りの空間であり、遠く過ぎ去った時代の史跡と単純に比較すべきものではありませんが、私たち史跡の整備を考える者に大いにヒントを与えてくれる事例だと思っています。

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平城宮跡第二次大極殿からの景観

 

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9/11メモリアルのノースプール

 

(文化遺産部 主任研究員 中島義晴)