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平城京の塔の景観

2013年11月  
 
 近年、「景観」という言葉をよく耳にします。また、新しい文化財として、文化的景観というジャンルもできました。景観とは移り変わってゆくことに特徴がありますので、過去の景観を考える場合には、一体いつの景観なのかに注意する必要があります。 

 現在、奈良市役所には平城京の1/1,000模型が展示されています。碁盤目状の街割りで整然と区画されたなかに、大小の住宅がひしめき、寺院の巨大な建物が軒を連ねていて、なんと見事な平城京!という表現がぴったりかもしれませんが、これはいったい奈良時代のいつ頃の平城京の景観なのでしょうか。寺院と塔の建立年代を見ながら考えてみましょう。 

 模型には西大寺も造られていますから、西大寺が創建された天平神護元年(765)以後のことになります。また大安寺には東西の七重塔がそびえています。近年の奈良市による発掘調査で、西塔は8世紀末~9世紀に建立されたことが明らかとなりました。すると、模型にみられる平城京の景観は、じつは奈良時代には実現していなかったかもしれませんし、実現していたとしても、平城京に都があった時期ではごく短い期間にすぎなかったようです。 

 では、ちょうど1300年前、奈良時代初頭頃の平城京の寺院景観とはどのようなものだったでしょうか。このころ平城京内に建てられた寺院は、飛鳥から移ってきた薬師寺、元興寺、大安寺とともに、興福寺がありました。寺院の塔の建立年代は、文献から興福寺五重塔と薬師寺東塔が730年だったことがわかっています。薬師寺西塔の心礎(心柱を据えるための礎石)には、舎利孔(しゃりこう)とよばれる釈迦の骨を納める円形の穴があり、東塔よりも早く建てられたと推定されています。元興寺の五重塔は765年以後の建立ですし、大安寺の東塔(七重塔)は、747~766年に建立されたようです。すると、奈良時代初頭に建っていた塔は、薬師寺の西塔と東塔、興福寺の五重塔のみとなります。現在の私たちにもおなじみの塔ですね。現在の興福寺五重塔は1426年、薬師寺西塔は1981年に再建されたもので、奈良時代から存続しているのは薬師寺東塔だけですが、ちょうど1300年まえの塔の景観を私たちも見ていることになるのではないでしょうか。 

 1300年前と現代がシンクロしてゆくとすると、今世紀中頃には仏塔の建設ラッシュがおきます。次に復元される塔は、どのお寺のどの塔でしょうか?


1/1,000模型にみる平城京の景観
写真提供:奈良市役所


東西七重塔を備えた大安寺の景観(平城京模型より)

 
(都城発掘調査部 遺構研究室長 箱崎和久)