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平城京と国分寺の瓦

2009年2月
 
  拓本の図は信濃国分寺の軒瓦です。この瓦は以前から奈良の瓦によく似ていると言われながら、同笵の瓦はこれまで奈良でみつかりませんでした。同笵瓦とは、木製の同一笵に粘土を詰めて文様を作り出した別々の個体の瓦です。ところが、2003年の奈良市教育委員会による奈良市国見町の発掘で、はじめて信濃国分寺と同笵の軒平瓦が出土していたことが、明らかになりました。奈良市出土のものは井戸から出土しており、西隆寺の寺地より3坪分南の位置にありますが、同じ井戸から出土した瓦はすべて西隆寺所用瓦なので、国見町出土のものも西隆寺用と考えられます。  

 製作技法も、粘土をブロック状または板状に手でのばし、途中で押しつけ、粘土を順次加えていって、外面を板状工具で削って成形する東大寺・西大寺タイプの作り方や、粘土素材を糸切りでスライスし外面を縄叩きで仕上げる平城宮タイプのものと異なり、粘土素材を糸切りでスライスし、外面を板状工具で削るものとして西隆寺と信濃国分寺の軒平瓦は共通しているのです。西隆寺の瓦工人が瓦を作る笵型を持って、信濃の国に派遣されたことが想定されます。

 神護景雲三年(769)に藤原楓麻呂が信濃国守になっていますが、この頃信濃国分寺造営が行われたと考えられ、その時の造西隆寺次官は池原禾守でした。5年前に楓麻呂は美濃国守で、禾守は美濃介でした。この両者の関係が西隆寺の瓦工を信濃国に派遣する条件を作り出した一つと考えられます。
(副所長 山崎 信二)
※肩書きは執筆当時のものです。

 

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