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文化財レスキュー 紙資料の救出と応急処置

はじめに

 平成23年3月11日、東日本を襲った大地震は、巨大津波も引き起こし、多くの尊い生命とそこに暮らしていた人々の生活だけでなく、地域に連綿と息づく暮らしの中で育まれた多くの文化財もまた深刻な被害を受けました。この被災した文化財を救い出すために、文化庁が中心となって文化財レスキュー事業が行われました。被災した文化財には、建造物をはじめ、博物館・美術館あるいは収蔵庫等で収蔵・展示されていたもの、個人宅に所蔵されていたものなど、実に多くのものがあります。その中でも危機的な状況にあると考えられたもののひとつに、古文書などの紙でできている文化財がありました。津波で濡れてしまった文書類はそのまま放置するとカビが生えたり、腐ってしまうことになります。とにかくなんとかしてひとつでも多くの文書類を救い出そうと多くの人々が動きました。ここでは、文化財レスキュー事業の活動の概要と奈文研の取り組み、古文書の救出と応急処置の方法などをご紹介したいと思います。
 

水損紙資料の救出

 今回、津波の被害を受けた地域には、旧伊達領の旧家に伝えられてきた江戸時代の古文書を含め、多くの歴史資料がありました。実は、これらの古文書の多くは、NPO法人宮城歴史資料保全ネットワークの悉皆調査でこれまでに目録作りとデジタル写真による記録がとられ、どこにどのような資料があるのかという情報はすでに蓄積されていました。地震が起こった直後には停電等がありましたが、電気が回復し、インターネットが使えるようになったとき、インターネットで閲覧できる航空写真を基に、各地の被災状況から文書類の安否をある程度推測できたということでした。その後、所有者との電話連絡などを通して、本格的な古文書のレスキューが開始されました。宮城歴史資料保全ネットワークのこれまでの活動と機敏なレスキュー活動には目を見張るものがあります。この他にも、岩手県立博物館のレスキュー活動、東北芸術工科大学の県を股にかけた機動的なレスキュー活動、また、神奈川大学常民文化研究所による大島漁協資料のレスキュー活動も特筆されるものでした。奈文研も現地に延べ239名の職員を派遣し、被災文化財の救出活動にあたりました。
 
文化財レスキュー
津波の被害をうけ、かろうじて残った蔵から大切な「文化財」をレスキューする
(撮影:斎藤秀一/提供:宮城歴史資料保全ネットワーク)
 
 
 

応急処置

 被災現場から回収された紙資料は、基本的には、クリーニング、乾燥処置、修復を経て可能な限り被災前の状態に戻され、安定した状態で一時保管された後、最終的に所有者に返却されるのが一般的です。しかしながら、今回のように一度に大量の水損した紙資料が回収された場合は、クリーニング作業に膨大な時間がかかり、結果として紙資料の腐敗が進行することになります。膨大な量の水損した紙資料のレスキューにおいて重要なポイントなるのは、いかにカビの発生や腐敗を抑制するかということです。その一つの方法として冷凍保管が考えられますが、冷凍倉庫は、そのほとんどが食品を保管するための施設のため、水損してカビなどの菌類やヘドロなどの汚染物質が付着している紙資料の保管に提供していただくことはきわめて困難なことだと考えていました。そのような時に、奈良市場冷蔵株式会社より協力の申し出があり、水損した紙資料をマイナス20℃で冷凍保管できる倉庫を奈良県内と宮城県内に確保することができました。これにより、冷凍保管できる紙資料は随時、これらの冷凍倉庫に運び込まれ、冷凍状態での一時保管がおこなわれました。なお、冷凍倉庫の使用にあたっては、臭いがしないように紙資料をプラスティックバッグに封入することが義務づけられただけでした。
 
 冷凍保管された紙資料の保存処置としては、随時、冷凍倉庫から搬出し、解凍、クリーニング、乾燥処置、修復をおこなう必要があります。しかしながら、今回は大量の紙資料のため、クリーニングに時間がかかり、冷凍保管の期間が長期化することが考えられたので、冷凍保管された紙資料の多くは、クリーニング作業の前に真空凍結乾燥処置(詳しくはこちら)により乾燥状態に移行させ、一応の安定化を図った上で、クリーニングを進めるという方法をとりました。これにより、塩分と泥などが付着した状態ではありますが、乾燥した状態にすることで安定度は格段に向上し、時間をかけてクリーニングと修復をおこなうことができるようになりました。奈文研に運ばれた紙資料は約800トレー(約5000点)におよびました。
 
水損した紙資料の乾燥処置
大型真空凍結乾燥機を用いた水損した紙資料の乾燥処置(奈良文化財研究所)
 
 
 大型の真空凍結乾燥機で乾燥させた資料のクリーニングは、特定非営利活動法人書物の歴史と保存修復に関する研究会に協力いただきながらおこないました。文書に付着した海底のヘドロや様々な汚れをクリーニングにより除去する際には、その粉塵を吸わないような対策を立てるだけでなく、生じる粉塵を回収する方法も考えておかなければなりません。そのため、専用の部屋を用意し、空気洗浄機で換気をおこなうとともに、粉塵を吸引するブースを作業台に設置し作業をおこないました。
 
乾燥した紙資料のクリーニング
乾燥した紙資料のクリーニング(奈良文化財研究所)
 

おわりに

 様々な方の協力により応急処置を終えることができ、地元で受入体制が整っているものについては、平成26年3月20日に返却することができました。
 しかしながら、応急処置は施したものの、資料は依然として損傷した状態にあり、これから被災前の現状に復する「本格処置」が必要になります。本格処置は、ある程度のトレーニングを積むことでできるようなものから装潢師(そうこうし)のような特殊な技術を要するものまで様々であります。応急処置がおこなわれ、一応の安定した状態となりましたので、これから紙資料の損傷状態に加え、資料が美術品的価値を有するのか、歴史資料的価値を有するのか等、さまざまな観点より分類をおこない、その分類に応じて本格処置をおこなうことになります。
東日本大震災の発生より3年が経過しましたが、文化財の修復には、まだまだ時間がかかります。奈良文化財研究所としてもできる限りの協力をおこなうこととしています。
文書の保存修復
 
 

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