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アク・ベシム遺跡

2013年6月

 中央アジアには旧ソビエト連邦を構成していて、現在は独立している共和国が5つある。そのひとつキルギス共和国は、東部に位置し中国とも国境を接する国で、天山山脈など万年雪をいただく高山地帯を擁している。首都ビシュケクから東に向かうと、幅の広いチュー川の谷に農地・牧草地が広がり、その中に小高い丘を成す都市遺跡が点在している。

 そのひとつ、アク・ベシム遺跡は、同様に大きな都市遺跡であるクラスナヤ・レーチカ遺跡とブラナ遺跡の中間に位置している。この地は、今から1400年近くも前、玄奘(三蔵法師)がインドへの求法の旅の途中に訪れ、西突厥(にしとっけつ)の可汗(かがん)と面会した素葉(スイヤーブ)に比定されている。玄奘が著した大唐西域記の中では、この地の言語や髪形・服装などについて比較的詳しい記載が見られる。また唐代の詩人、李白が生まれたのがこのアク・ベシムの地とする説もあり、日本でもよく知られた人物とのつながりが深い所である。

 この由緒あるアク・ベシム遺跡において、奈良文化財研究所は東京文化財研究所が行っている、考古学関係の人材育成事業に協力し、2011年度から測量や発掘調査などの研修を行っている。奈文研からの参加は文化庁の拠点交流事業の予算と奈文研の予算によるものある。研修では、キルギス共和国の研究者・学生のみならず、他の中央アジア諸国の研究者も参加して学んでいる。

 昨年度は、朝から昼過ぎまで現地で小規模な発掘調査を実施し、午後は宿舎で関連する講義を行うという日程で研修を行った。発掘調査地点は、アク・ベシム遺跡の城壁南側中央にある門と考えられる部分から、町の中心へと延びる道路の延長線上と考えている所である。発掘調査について、調査区の設定や掘っていく手順、記録の取り方などを研修生とともに考えながら作業を進め、予想通りに道路面を検出できた。この道路面は、アク・ベシム遺跡が機能していた最終段階であるカラ・ハン朝の時期(10世紀から13世紀くらいか)と考えられる。おそらく、同じ場所の下層には、唐の支配下の時代やさらに遡る西突厥の時代の道路が埋もれているものと推定している。

 人材育成・技術移転という有意義な国際協力と、シルクロードにおける東西交流史の華に触れることが同時にできるのは、担当者としてとても幸せなことである。

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アクベシム位置図

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アク・ベシム遺跡調査風景

(企画調整部国際遺跡研究室長 森本 晋)

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