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山口玄洞という人

2013年1月

 建造物研究室で近年重点を置いている調査事業の中に近代和風建築調査があります。社寺や住宅、茶室等で明治以降ほぼ戦前までに建てられたものを対象とする建築調査ですが、そこにはとんでもない人物が出てきます。

 たとえば山口玄洞です。彼は文久3年(1863)に尾道に生まれ、大阪で洋反物の商売で財をなし、高額納税者の互選で決まる貴族院議員まで上り詰めた人物ですが、大正6年に実業を引退し、その後は信仰生活に入りました。現役時代から学校や医療分野などに多くの寄付を行い寄付金王と呼ばれましたが、引退後は信仰生活の一環として特に寺院の修理や復興に力を入れました。宗教的信条から、寺の由緒正しいこと、景勝の地にあること、住職の人品優れていることを条件とし、修理では公の援助のない文化財未指定の寺院に限って援助を行ったとされています。玄洞の建築顧問の安井楢次郎は京都府の文化財技師出身で、中世から近世初期の建築様式を引用したいわゆる「復古様式」の使い手であったことから、玄洞はこの種の建築のパトロンという立場にありました。昭和12年(1937)に亡くなるまで、玄洞が寄進した建築は新築だけでも約100件あり、その中には近代和風建築として評価の高い神護寺金堂(京都市)や延暦寺阿弥陀堂(大津市)など本格的な仏堂が何棟も含まれ、そのほかに修理約50件に対しても寄付を行っています。一体どれだけのお金を寺院への寄進につぎ込んだのか想像もつきません。

 山口玄洞は自分の寄進した建築が後世文化財になるとは露とも思っていなかったでしょうが、現在では、近代の和風建築が文化財として指定される対象に入ってきているのです。ひるがえって、果たして我々は未来の文化財を今造っているのか?という疑問に突き当たります。

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山口玄洞が寄進した延暦寺東塔阿弥陀堂(昭和12年)

(文化遺産部建造物研究室長 林 良彦)

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