考古第三研究室Archaeology Section 3古代の瓦

古代の瓦

 日本で最初の瓦葺建物とされているのは、588年に創立された奈良県明日香村の飛鳥寺です。朝鮮半島の百済より「瓦博士」を招き、造瓦技術の導入が図られたことを、文献から知ることができます。飛鳥寺の軒丸瓦(軒平瓦はまだありません)の文様は素弁蓮華文といって、百済のものと非常によく似ています。ただし、このほかにも飛鳥時代に建立された諸寺の瓦は多様な文様を持っており、技術の導入プロセスが単純ではなかったことが知られます。

 639年に舒明天皇によって造営が開始された百済大寺(吉備池廃寺)は、九重塔をもつなど飛鳥寺をはるかに上回る規模をもった大寺院でした。この寺に葺かれた瓦は、蓮弁の中に子葉を重ねたもので、単弁蓮華文と呼ばれています。なお、軒平瓦は法隆寺の若草伽藍等にみられる手彫りの忍冬文をもつものが最初ですが、この百済大寺でもスタンプで忍冬文を連続的に押したものが発見されています。百済大寺の単弁蓮華文は、ほぼ同時期に造営が開始された山田寺の瓦によく似ています。またこれに類似した瓦は、大和以外の他地域にまで広がっていきます。山田寺の軒平瓦は重弧文とよばれるものです。

 百済大寺と同様に、朝廷が造営した四大官寺のひとつとして知られる川原寺は、7世紀後半に、斉明天皇の川原宮跡に建立されたと考えられています。この寺を特徴づけるもののひとつが、大ぶりで優美な軒瓦です。蓮弁が二つ連なったものを一単位とする複弁蓮華文が初めて現れました。この文様も、他地域に広く影響を与えています。以後、複弁蓮華文は奈良時代を通じて瓦当文様の中心であり続けます。軒平瓦は山田寺とおなじく重弧文です。

 それまで寺院建築に限られていた瓦葺建物は、7世紀末の藤原宮の造営に際して初めて宮殿建築にとりいれられました。このとき要した瓦は推定200万枚以上といわれ、大和を離れた遠隔地にもその生産を発注しています。藤原宮の瓦も複弁蓮華文が特徴です。軒平瓦は唐草文を中心的な文様とするものに変化します。

 都が平城京にうつってからも、宮殿や多くの寺院において瓦葺の建物がたてられました。宮殿と寺院ではそれぞれ瓦を造る組織が異なっており、それらは相互に交流を持ちながらも、独自の瓦造りを展開しました。その結果、瓦の文様は実に数百種類の型式に分類可能なほど多様なものとなりました。大和以外の各地域での瓦造りも活発化したため、当時の瓦の多様化に一層拍車がかかりました。奈良時代を通じて複弁蓮華文は主流ですが、中ごろからは単弁蓮華文も再び現れます。前段階のものよりも若干華奢な印象を持つものが多いのも特徴でしょう。こうした様々な瓦は、出土状況や伴出土器・紀年銘木簡等を手掛かりに、その製作年代が判明してきています。

 奈良時代が終わりを告げ、都が平安京に移されても、軒丸瓦で単弁・複弁蓮華文が、軒平瓦で唐草文が古代瓦文様の主流であり続けますが、中世にいたると文様は簡素化し、軒丸瓦では巴文や文字瓦が、軒平瓦では簡素な唐草文のほかに連珠文、波状文、文字瓦などが出現していきました。

飛鳥寺

山田寺

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藤原宮

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