考古第三研究室

概 要

研究室の業務

考古第三研究室では、都城発掘調査部が調査した遺跡から出土した遺物のうち、瓦磚類および凝灰岩・礎石などの石製建築材料の整理と研究に従事しています。特に、寺院跡や宮殿跡の調査では非常に多くの瓦が出土しますので、調査研究に際して貴重な情報を引き出すことが期待できます。瓦の文様や製作技法などから、主に瓦の年代や生産地(瓦窯)と供給地(宮殿・寺院)の関係等を研究しています。
軒瓦の基準資料 遺物整理作業(拓本)の様子

巡訪研究室(平城地区)

瓦礫の山 瓦礫(がれき)とは建物の崩れた残骸のことを意味します。平城宮や平城京の寺院を発掘すると、写真にあるように多量の瓦が出土します。これらは、当時の人々が使えなくなって捨てたゴミです。私たちはゴミを研究していると自負!しています。さて、何ゆえに瓦を専門に扱う研究室が独立しているのでしょうか。それは、遺跡から出土する瓦の量があまりにも膨大だからです。どのぐらいかといいますと、広さ1000平方メートルほどの遺跡を発掘調査した時の瓦の出土量は、平城宮の大きな建物がある場所では2トンほど、南都の大寺院では10トンを超えることもあります。これらをすべて水洗いし整理して保管しなければなりません。多く人手と時間、そして保管場所が必要になります。
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    平城宮内に捨てられた多量の瓦片が出土したようす

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    瓦を収納した箱の重量はひとつ30㎏ほど。このような箱は1000を超えています

泥中の蓮 博物館や資料館に展示されている瓦は形もよく美しいですが、発掘調査で出土する瓦のほとんどは破片です。出土したてのホヤホヤは泥にまみれて形もわかりません。出土した瓦は発掘現場から整理室に運んで水洗いをします。暑くなると、瓦についた泥がガチガチに固まって落ちにくくなりますが、タワシなどでゴシゴシしてはいけません。1000年以上も土に埋もれていた瓦はとても脆くなっています。水に浸けて泥を柔らかくしてから柔らかいブラシで丁寧に落とします。とくに紋様の部分は繊細なので筆をつかって優しく撫でていきます。そうすると、いにしえの植物紋様が浮かび上がってきます。まるで泥中に咲いたハス(蓮)を見るような思いです。合掌!
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    瓦片を水に浸けて泥を柔らかくします

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    筆で優しく撫でると泥の下から軒平瓦の唐草紋様がみえてきました

最古のコピー術 軒瓦とは屋根の軒先に葺く瓦で、さまざまな紋様があります。紋様を絵に描くのは大変なので、瓦の研究では一般に拓本を利用して紋様を写し取ります。拓本は遅くとも中国の唐代には普及していた歴史のあるコピー術です。フィルム写真は拓本にくらべて格段の情報量を有しますが、時間と費用がかかるため膨大な数の資料を全点記録するには現在でも墨と紙を用いる伝統的な拓本が有効です。
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    紙に浮き出た紋様を墨で写し取っていきます

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    拓本に使用する道具はほぼ手作りです

立体物を2次元で記録 出土した瓦を研究資料とするためには、拓本や写真による記録だけでなく実測という方法をつかって瓦の大きさや形を記録しています。実測では、瓦の輪郭や目ではわかりにくい厚さなどを把握するために、定規とコンパスを用いて平面図や断面図を原寸大で作成します。瓦は平らな場所に置いて使用するものではないため、実測時には安定して瓦を据えることが難しく試行錯誤が必要な作業のひとつです。
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    紋様の凹凸を真弧(まこ)という道具で型取ります

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    紋様の凹凸を方眼紙に鉛筆で丁寧に写し取ります

瓦のID化と膨大なデータベース 紋様がある軒瓦、鬼瓦、文字を記した瓦など、研究上重要な情報をもつ瓦は、遺跡名、出土地点、出土年月日、その他必要な情報を書き込み拓本や写真を貼り付けて、資料カードを作成します。このカード作成、いいかえれば瓦のID化が研究の出発点となります。つぎに、このカード情報をコンピューターのデータベースに入力していきます。2020年現在、その資料数は10万点をすこし超えたところです。データベースができると、同じ紋様の瓦がどこから出土しているか、ひとつの遺跡でどれほどの種類の瓦が出ているかなどが、瞬時に分かるようになります。
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    出土情報は墨で瓦に直接書き込みます
    墨は千年たっても消えません

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    資料カードにはあらゆる情報を集約します

デジタル技術と3D計測 近年、デジタル技術が進歩し考古学もさまざまな分野で取り入れています。写真もフィルムからデジタルに移行しました。デジタルカメラは3次元情報を有しているので、それを利用して瓦の3D(3次元)計測を始めました。ひとつの瓦をあらゆる方向から撮影したのち、コンピューターソフトですべての写真を合成します。完成した立体画像は瓦の大きさが分かるだけでなく断面図も描くことができ、軒瓦や鬼瓦の複雑な紋様も正確に記録できます。3D計測はこれまでの拓本、写真、実測といった記録方法を一括して行うことができるという点で画期的な技術です。
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    さまざまな角度から瓦の写真を何十枚も撮影します

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    コンピューターが多量の撮影した写真を自動で合成してくれます

軒瓦の紋様の照合 軒瓦の紋様はひとつひとつ手で彫るのではなく、笵(木型)を使って同じ紋様の瓦を何百と製作していました。出土した軒瓦を整理していくと、同じ紋様がたくさんあることに気づきます。これまでは軒瓦の紋様の見本棚を作成し、出土した軒瓦の破片がどの紋様と同じかを1点1点照合し目で判断してきました。最近は、作成した3D画像をパソコン上で照合作業できるようにするための研究を始めています。 紋様の照合作業を積み重ねていくと、同じ紋様の瓦が何キロメートルも離れた遺跡で発見されたとき、遺跡同士の関係を知ることができるのです。例えば、同じ紋様の瓦は作られた時期が限られますので、同じ紋様の瓦が異なる遺跡で出土した場合には、それらの遺跡はほぼ同時期に存在していたことがわかります。また、軒瓦がどこで作られ、どこまで流通していたのかも知ることができるのです。瓦から歴史を復元していく作業です。
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    同じ紋様を大量につくるための笵(木型)
    軒瓦は古代、笵は現代のものです

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    蓮の花弁や珠紋の数だけなく大きさや形、紋様どおしの間隔などを比較していきます

瓦礫に花を咲かせましょう 私たちは昔の人々が捨てた何トンものゴミを集めて調査研究対象とすることで、いまは失われた宮殿や寺院の屋根の風景を復元したり、瓦の生産と流通が時代ごとにどのように変化したのかなどを研究しています。拓本や実測といった伝統的な方法だけではなく、3D計測など最新の調査方法も導入して、今後とも歴史のさまざまな様相をあきらかにしていきたいと思います。これはまさに瓦礫を宝物に替える作業なのです。こうした地道な調査研究をどうぞあたたかく見守ってください。

巡訪研究室(飛鳥・藤原地区)

飛鳥寺や本薬師寺などの寺院跡や、藤原宮・京跡を発掘しますと、かつてそこに建ち並んでいた数々の建物に葺かれていた古代瓦が大量に出土します。かつて、藤原宮朝堂院東第六堂跡を発掘した際には、コンテナ数が4,000箱にも及ぶ瓦が出土しました(第136次調査、20042005年)。それらの古代瓦を整理・収蔵し、それらの分析を通じた研究を行っているのが考古第三研究室です。実際の整理作業・研究については、すでに平城地区の様子を詳しく紹介していますので(巡訪研究室(12)「都城発掘調査部(平城地区)考古第三研究室」)、今回は、飛鳥・藤原地区ならではの特徴と、近年の研究成果を交えながら、考古第三研究室(飛鳥・藤原地区)についてご紹介いたします。

「標本棚」に見る瓦の歴史

崇峻天皇元年(588)、日本最古の寺院である飛鳥寺の造営に伴って、百済から4人の瓦博士が飛鳥の地に派遣され、瓦を製作したことが我が国の瓦の歴史の始まりとされています。そこで、飛鳥寺から出土する軒丸瓦を見ますと、実に20種類が確認されており、創建期のものだけでも10種類が存在することが明らかとなっています。そのため、実際に出土した軒丸瓦がどの種類=型式に相当するかを判断するために、見本となる瓦を並べた「標本棚」を作り、そこで実物の瓦を相互に見比べながら型式を判定することとしています。

飛鳥寺のように飛鳥・藤原地区の寺院跡を発掘しますと、通常複数の型式の軒瓦が出土することから、この標本棚には、山田寺跡や川原寺、本薬師寺跡など、奈良文化財研究所が調査した諸寺院のほとんどの型式の軒瓦を並べてあります。そのため、これらの標本棚は飛鳥寺に始まる我が国の瓦の歴史を一望できる重要な場所となっています。そういう意味でも、この標本棚は考古第三研究室の「心臓部」と言っても過言ではありません。

 

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飛鳥寺出土の軒瓦です。このように、多くの型式が確認されています。

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標式となる軒瓦を守るため、震災対策としてネットを設置しています。

藤原宮の瓦の「出身地」について

飛鳥・藤原地区で行われる発掘調査の中で、最も瓦が出土するのが藤原宮跡の調査です。出土する瓦のほとんどは文様をもたない丸瓦・平瓦ですが、紋様のある軒瓦も多数出土します。これらの軒瓦も1点ずつ標本棚と付き合わせて、どのような型式が藤原宮のどの場所から出土しているのか分析を重ねています。

それと併行して、これらの軒瓦がどこで作られたのか、いわゆる「出身地」の研究も進めています。これまでの研究によると、藤原宮の軒瓦は奈良盆地産とそれ以外の地域産(遠い場所では近江、淡路、讃岐など)に大別され、奈良盆地産の軒瓦は藤原宮中枢部に、それ以外の地域を「出身地」とする軒瓦は藤原宮大垣を中心に用いられたことが明らかとなっています。

「出身地」を明らかにするには、各生産地の瓦窯跡から出土した瓦と藤原宮出土瓦について、それぞれの胎土や製作技法を比較することが重要です。このうち胎土については、近年科学的分析を行うことによって、肉眼での観察結果を補強できるような成果が得られるようになりました。藤原宮跡出土軒瓦の中には、まだ「出身地」が明らかでないものもありますので、今後分析を重ねていく予定です。

 

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・藤原宮跡出土軒瓦の標本棚です。現在ではこれらの「出身地」が明らかになりつつあります。

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・胎土分析をするために、サンプリングを行っています。

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・顕微鏡観察を行うことによって、藤原宮跡出土瓦の胎土を詳細に分析していきます
(写真は藤原宮跡出土軒平瓦6647D型式の胎土)。

 

「出身地」が明らかになったとしても、研究が終わるわけではありません。写真は藤原宮跡のすぐ南に位置する日高山瓦窯の発掘調査の状況です(1978年撮影)。現在、この瓦窯から出土した瓦の再検討を行っており、当時の瓦の生産体制がどのようなものであったのかについて、分析を進めています。また、瓦窯の現地についても再調査を行う方向で準備を始めており、その成果も合わせた研究を進めたいと考えています。

 

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 ・1978年に行われた日高山瓦窯の発掘状況です。

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 ・出土した瓦の実測図を作成しています。

鴟尾の復元と研究

近年、考古第三研究室で取り組んでいるテーマの一つに、鴟尾の研究があります。鴟尾は大型建物の棟飾りとして用いられる道具瓦で、平城宮第一次大極殿や東大寺大仏殿では光り輝く鴟尾が燦然と据えられています。しかし、平城宮・京跡では鴟尾の出土例が非常に少なく、金銅製の鴟尾が後世に金属材料としてリサイクルされてしまったためと考えられています。一方、飛鳥・藤原地域で用いられた鴟尾は瓦製であるため、発掘調査で発見されることがあります。

 

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 ・平城宮第一次大極殿で復元された金銅製の鴟尾です。

 

下の写真は坂田寺から出土した鴟尾の破片です。鴟尾は道具瓦の中でも極めて大きいため、常に粉々に壊れた破片として出土します。しかも、破片のすべてが出土するわけではなく、見つからないパーツがあるのが通常です。しかしながら、この状態から全形の復元を試みていくのが私たちの仕事です。その作業は、さながら立体的なジグゾーパズルを解き明かすのと全く同じです。

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・坂田寺出土の鴟尾の破片です。まるでジグゾーパズルのようです。

 

作業の結果、以下のような復元図面が作成できました。これを見ますと、概ね高さ約1mの鴟尾だったようです。そしてこの復元図をもとに、この鴟尾がどのように作られ、どのような系譜に位置づけられるのかといった研究がスタートすることになります。

 

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・これを、立体的に復元していきます。

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 ・復元すると、このような形状の鴟尾だったことが判明しました。

若きホープの集う場所

この春、考古第三研究室にも異動や新人の採用が生じた結果、室員4人の平均年齢が32.5歳(2021年4月現在)と都城発掘調査部でも1、2を争うほど低くなり、若きホープが集う場所となりました。

その中に、平安時代の瓦を専門とする研究員がおります(都城発掘調査部で最も若い研究員です)。飛鳥・藤原地区で平安時代の瓦?と思われる方もおられるかと思いますが、飛鳥時代に建てられた寺院であっても、後世まで法灯を継ぎ、平安時代の瓦が用いられている事例が存在します(川原寺など)。したがって、これらの瓦がどこで作られ、どのように流通していたか、分析と検討を進めていくのも私たちの課題です。これから、若きホープ達が明らかにしてくれることを期待します。

 

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・若きホープ達が集っている様子です。ここから新たなアイデアが芽生えていきます。

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・川原寺出土の平安時代の瓦です。これがどのような歴史を語ってくれるのでしょうか?

 

瓦は現代の私たちにとってもなじみの深い建築資材であり、今でも建物を見上げればすぐに目にすることができます。きっと、古代の人々も同じような目線で瓦を眺めていたことでしょう。考古第三研究室では、古代の瓦を通じて、その瓦を見つめていた古代の人々の想いや感性に迫れるよう日々研究に取り組んでいきたいと考えています。

調査研究

調査・研究

 遺跡出土瓦磚類の整理・分析・調査報告という通常業務のほか、独自の研究課題を計画し、実施してきました。以下にその主なものを紹介します。


A.軒瓦型式一覧の作成(1973~1983年、1994年~1996年)

 発掘調査の進展により増加した軒瓦の型式を整理し、以後の調査研究に資するよう基準資料として体系化する作業に、1970年代より着手しました。その成果は『奈良国立文化財研究所基準資料 瓦編 I~IX』および『平城宮出土軒瓦型式一覧』『平城宮出土軒瓦型式一覧〈補遺篇〉』として刊行しました。その後、従来の軒瓦型式一覧では補いきれない資料が急増したことを受けて、当時知られていた平城京・藤原京出土のすべての軒瓦型式について、拓影・文様構成・寸法・出土地の再集成・再整理をおこない、『平城京・藤原京出土軒瓦型式一覧』(1996年、奈良国立文化財研究所)に取りまとめました。


B.法隆寺昭和資財帳作成への協力(1977年~1992年)

 法隆寺昭和資財帳作成の一環として、法隆寺で使用されていた瓦磚類の悉皆調査に協力しました。これまで法隆寺で収集された瓦、および文化庁記念物課による若草伽藍の発掘あるいは防災工事に伴う発掘を通じて集積されてきた瓦、堂塔修理時に屋根からおろし収蔵されていた瓦、奈良国立博物館による「福園院」発掘調査で出土した瓦がその対象です。対象となった瓦の時期は飛鳥時代から明治時代にまで及んでいます。法隆寺には今なお白鳳時代の主要伽藍が残っており、その瓦には現在まで連綿と繰り返されてきた修造の歴史が反映されていると考えられます。したがって、これを整理・分析し、その結果を報告することは、瓦から読み解く日本の歴史研究に大きく貢献することができるとの見通しのもとにこの作業をおこないました。その成果は、『法隆寺の至寶 昭和資財帳第15巻 瓦』(1992年、小学館)に結実しています


C.研究集会の開催(1998年~2008年)

考古第三研究室が中心となって「古代瓦研究会」を主催しました。飛鳥寺から藤原宮にかけての特徴的な軒瓦を主題に、11回の研究集会(検討会1回)をおこない、その成果は、『古代瓦研究Ⅰ』(2000年)・『古代瓦研究Ⅱ』(2005年)・『古代瓦研究Ⅲ』(2009年)・『古代瓦研究Ⅳ』(2009 年)、『古代瓦研究Ⅴ』(2010年、奈良文化財研究所)として取りまとめています。


D.古代東アジアにおける造瓦技術の変遷と伝播(2005年~2008年)

 独立行政法人日本学術振興会・科学研究費補助金による共同研究「古代東アジアにおける造瓦技術の変遷と伝播に関する研究」(基盤研究A)(課題番号 17202022、研究代表者:毛利光俊彦・山崎信二)です。中国・韓国の研究者にも協力を仰ぎ、中国・韓国・日本の造瓦技術を比較して、東アジアという地域スケールで瓦造りの由来や変遷・伝播の具体相に接近することを試みました。その成果は、2009年の国際シンポジウム(『古代東アジアにおける造瓦技術の変遷と伝播』2009年、科研報告書)において公表しました

古代の瓦

古代の瓦

日本で最初の瓦葺建物とされているのは、588年に創立された奈良県明日香村の飛鳥寺です。朝鮮半島の百済より「瓦博士」を招き、造瓦技術の導入が図られたことを、文献から知ることができます。飛鳥寺の軒丸瓦(軒平瓦はまだありません)の文様は素弁蓮華文といって、百済のものと非常によく似ています。ただし、このほかにも飛鳥時代に建立された諸寺の瓦は多様な文様を持っており、技術の導入プロセスが単純ではなかったことが知られます。

639年に舒明天皇によって造営が開始された百済大寺(吉備池廃寺)は、九重塔をもつなど飛鳥寺をはるかに上回る規模をもった大寺院でした。この寺に葺かれた瓦は、蓮弁の中に子葉を重ねたもので、単弁蓮華文と呼ばれています。なお、軒平瓦は法隆寺の若草伽藍等にみられる手彫りの忍冬文をもつものが最初ですが、この百済大寺でもスタンプで忍冬文を連続的に押したものが発見されています。百済大寺の単弁蓮華文は、ほぼ同時期に造営が開始された山田寺の瓦によく似ています。またこれに類似した瓦は、大和以外の他地域にまで広がっていきます。山田寺の軒平瓦は重弧文とよばれるものです。

百済大寺と同様に、朝廷が造営した四大官寺のひとつとして知られる川原寺は、7世紀後半に、斉明天皇の川原宮跡に建立されたと考えられています。この寺を特徴づけるもののひとつが、大ぶりで優美な軒瓦です。蓮弁が二つ連なったものを一単位とする複弁蓮華文が初めて現れました。この文様も、他地域に広く影響を与えています。以後、複弁蓮華文は奈良時代を通じて瓦当文様の中心であり続けます。軒平瓦は山田寺とおなじく重弧文です。

それまで寺院建築に限られていた瓦葺建物は、7世紀末の藤原宮の造営に際して初めて宮殿建築にとりいれられました。このとき要した瓦は推定200万枚以上といわれ、大和を離れた遠隔地にもその生産を発注しています。藤原宮の瓦も複弁蓮華文が特徴です。軒平瓦は唐草文を中心的な文様とするものに変化します。

都が平城京にうつってからも、宮殿や多くの寺院において瓦葺の建物がたてられました。宮殿と寺院ではそれぞれ瓦を造る組織が異なっており、それらは相互に交流を持ちながらも、独自の瓦造りを展開しました。その結果、瓦の文様は実に数百種類の型式に分類可能なほど多様なものとなりました。大和以外の各地域での瓦造りも活発化したため、当時の瓦の多様化に一層拍車がかかりました。奈良時代を通じて複弁蓮華文は主流ですが、中ごろからは単弁蓮華文も再び現れます。前段階のものよりも若干華奢な印象を持つものが多いのも特徴でしょう。こうした様々な瓦は、出土状況や伴出土器・紀年銘木簡等を手掛かりに、その製作年代が判明してきています。

奈良時代が終わりを告げ、都が平安京に移されても、軒丸瓦で単弁・複弁蓮華文が、軒平瓦で唐草文が古代瓦文様の主流であり続けますが、中世にいたると文様は簡素化し、軒丸瓦では巴文や文字瓦が、軒平瓦では簡素な唐草文のほかに連珠文、波状文、文字瓦などが出現していきました。
  • 飛鳥寺

    飛鳥寺

  • 山田寺

    山田寺

  • 川原寺

    川原寺

  • 藤原宮

    藤原宮

  • 平城京

    平城京

成果報告書

成果報告書

 考古第三研究室が中心となって刊行した書籍・成果報告書には以下のものがあります。なお、一般頒布はおこなっておりません。

■『法隆寺文字瓦銘文集成』奈良国立文化財研究所 1972年7月
■『奈良国立文化財研究所基準資料Ⅰ 瓦編1』奈良国立文化財研究所 1974年3月
■『奈良国立文化財研究所基準資料Ⅱ 瓦編2』奈良国立文化財研究所 1975年3月
■『奈良国立文化財研究所基準資料Ⅲ 瓦編3』奈良国立文化財研究所 1976年3月
■『奈良国立文化財研究所基準資料Ⅳ 瓦編4』奈良国立文化財研究所 1977年2月
■『奈良国立文化財研究所基準資料Ⅴ 瓦編5』奈良国立文化財研究所 1977年3月
■『平城宮出土軒瓦型式一覧』奈良国立文化財研究所 1978年3月
■『奈良国立文化財研究所基準資料Ⅵ 瓦編6』奈良国立文化財研究所 1979年3月
■『奈良国立文化財研究所基準資料Ⅶ 瓦編7』奈良国立文化財研究所 1980年3月
■『奈良国立文化財研究所基準資料Ⅷ 瓦編8』奈良国立文化財研究所 1981年3月
■『南都七大寺出土軒瓦型式一覧(1) 法隆寺』奈良国立文化財研究所 1983年3月
■『奈良国立文化財研究所基準資料Ⅸ 瓦編9』奈良国立文化財研究所 1984年2月
■『平城宮出土軒瓦型式一覧〈補遺篇〉』奈良国立文化財研究所 1984年3月
■『法隆寺の至宝 昭和資財帳第15巻 瓦』小学館 1992年9月
■『平城京・藤原京出土軒瓦型式一覧』奈良国立文化財研究所 1996年6月
■『古代瓦研究会シンポジウム記録 古代瓦研究Ⅰ―飛鳥寺の創建から百済大寺の成立まで―』奈良国立文化財研究所 2000年11月
■『古代瓦研究会シンポジウム記録 古代瓦研究Ⅱ―山田寺式軒瓦の成立と展開―』奈良文化財研究所 2005年3月
■『古代瓦研究会シンポジウム記録 古代瓦研究Ⅲ―川原寺式軒瓦の成立と展開―』奈良文化財研究所 2009年3月
■『古代東アジアにおける造瓦技術の変遷と伝播』(日本学術振興会科学研究費補助金・基盤研究A 研究成果報告書) 2009年3月
■『古代瓦研究会シンポジウム記録 古代瓦研究Ⅳ―法隆寺式軒瓦の成立と展開/雷文縁・輻線文縁・重圏文縁複弁蓮華文軒丸瓦の展開―』奈良文化財研究所 2009年11月
■『古代瓦研究会シンポジウム記録 古代瓦研究Ⅴ-重弁蓮華文軒丸瓦の展開・藤原宮式軒瓦の展開-』奈良文化財研究所 2010年3月
■『古代瓦研究会シンポジウム記録 古代瓦研究Ⅵ-大官大寺式・興福寺式・鴻臚館式軒瓦の展開 重圏文系軒瓦の展開-』奈良文化財研究所 2014年2月
■『古代瓦研究会シンポジウム記録 古代瓦研究Ⅶ-平城宮式軒瓦の展開1 6225-6663系 平城宮式軒瓦の展開2 6282-6721系-』奈良文化財研究所 2017年2月
■『古代瓦研究会シンポジウム記録 古代瓦研究Ⅷ-東大寺式軒瓦の展開 飛雲文軒瓦の展開-』奈良文化財研究所 2018年2月

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