考古第一研究室

概 要

研究室の業務

考古第一研究室では、都城発掘調査部が調査した遺跡から出土した遺物のうち、木製品、金属製品、石製品などの調査研究をおこなっています。平城宮や藤原宮の周辺では、木簡などとともに多量の木製品が出土します。また工房跡などからも多様な金属製品や銭貨などが出土しています。これらの遺物の中には、正倉院に見られるものと類似しているものもあります。土器や瓦などと比較して出土数は少ないとはいえ、その調査研究は非常に重要です。扱っている遺物は、脆弱なものが多いので、常に自然科学関連研究室と連携しながら、保管、保存、管理しています。
平城宮東方官衙出土檜扇 飛鳥池遺跡出土富本銭と鋳棹

巡訪研究室(平城地区)

みなさんは遺跡から出土するもの、というと何をイメージしますか?土器、石器、瓦など、遺跡からはたくさんの遺物が出土しますが、平城宮やその周辺では地下水位が高いため、木製品などの有機質の遺物がよく保存されています。この木製品など有機質遺物の調査研究が、わが考古第一研究室の仕事の1つです。 ところで木製品はどのように出土するのでしょうか。木製品など有機質遺物が出てくるところは溝や井戸、ごみ捨て穴であることが一般的です。多くの場合水浸かりの状態で、脆弱であることも多いため、土ごと研究室に持ちかえって詳しく調査します。10年以上前に発掘調査をおこなった平城宮の東方官衙と呼ばれる役所地区のごみ穴の調査(写真①)では、コンテナ約2,800箱の土を持ちかえり、現在もその中身の洗浄・分別作業が続いています。
①平城宮東方官衙のごみ穴の発掘風景.jpg①平城宮東方官衙のごみ穴の発掘風景。
東西11m、南北7m、深さ1mの ごみ穴(焼却土坑)には、
分厚い木屑の堆積が埋もれていました(2008年12月)。
②今日も続く流しに向かっての水洗作業.jpg②今日も続く流しに向かっての
水洗作業。

土から遺物を抽出する場合、これらを丹念に洗って大まかに分別する作業が第一関門です(写真②③)。そして木製品などの有機物をさらに細かく分類します(写真④)。東方官衙のごみ穴では、これまでに箸や杓子などの食事の道具、奈良時代の扇である「檜扇(ひおうぎ)」、サイコロなどの遊戯具、糸巻などの機織りの道具など多様な木製品が見つかっており(写真⑤)、それとともに生活道具や建築木材を作ったときの多量の木屑などが含まれることがわかっています。またちゅう木とよばれる「おしりふき」や植物の種なども含まれています(写真⑥)。

③水流を使いながら.jpg③水流を使いながら、筆や竹串などを用いて
丁寧に泥を落とし、遺物をほぐしていきます。
④洗浄された遺物を研究員がチェック.jpg④洗浄された遺物を研究員が
チェックして分類を進めます。
⑤東方官衙のゴミ穴から見つかった.jpg⑤東方官衙のゴミ穴から見つかった様々な木製品 ⑥ちゅう木とウリの種.jpg⑥ちゅう木とウリの種
こうして見つかった遺物のうち、人の手の加わった木製品については、実測図を作成します(写真⑦)。遺物の保管もまた大切な仕事です。木製品はたっぷり水分のある環境で1000年以上も保存されてきましたから、水漬け環境で保管するのが基本です。木製品の保管には、土器や瓦など他の遺物にはない苦労があります(写真⑧)。
⑦木製品の実測作業.jpg⑦木製品の実測作業。
遺物はじっくり観察し、一つずつ
手で測って図面を作ります。
⑧実測の終わった遺物は、少量のホウ酸ホウ砂水溶液を入れ.jpg⑧実測の終わった遺物は、少量のホウ酸ホウ砂水溶液を入れた
シーリングパックに密封して、乾かないように保管します。
保存処理を施し施して乾燥した状態で保管する場合もあります。
さて、見つかった遺物について少し考えてみましょう。 遺物の種類をみると、役所というわりに生活感あふれる道具が含まれていることがおわかりでしょう。さらに面白いのは、ちゅう木や種の存在です。実はこのごみ穴の下層からは簡易なトイレではないかと考えられる遺構も見つかっています。このちゅう木とともに植物の種を調査するのもわれわれの役割です。顕微鏡を覗いて種類ごとに分類します(写真⑨)。種は大小さまざまなものがあります。モモ、ウメ、クルミなどの種(殻)は皆さんにもなじみ深いものでしょう。トイレとみられる穴からちゅう木とともに見つかった種には、ウリをはじめとして、アケビ、ナス、キイチゴ、エゴマなど果実の種がみつかりました(写真⑩)。これはおしりふきとともに出土していますし、さらに細かい分析によって寄生虫の卵も見つかったので明らかにうんちの中に入っていたものと考えられます。つまり、この種から食べたものがわかるというわけです。
⑨顕微鏡を覗きながら.jpg⑨顕微鏡を覗きながらなんの種かを決めていきます。 ⑩分類された種2.jpg⑩分類された種。
1:アケビ、2:ウリ、3キイチゴ
4:エゴマ 5:サルナシ 6:ナス

繰り返しますが、これは奈良時代の役所のごみ穴やトイレです。使ったのは平城宮で仕事に従事していたお役人さんだと考えるのが自然です。こうした日常生活にまつわるエピソードは当時の人たちにとっては当たり前すぎて古文書には書かれることはありません。しかし、遺跡を掘って、遺物を丹念に調べればここまで明らかにすることができます。平城宮内での生活の様子を明らかにすること、これがわれわれ考古第一研究室の役割であり、研究の醍醐味です。

なお、考古第一研究室で取り扱う遺物には、ほかに和同開珎などの銭貨をはじめとする金属製品もありますが、これについてはまた機会を改めてご紹介することにします。

巡訪研究室(藤原地区)

古代の宮殿や寺院の発掘では土器や瓦が大量に出土しますが、条件に恵まれれば木製品や種実などの有機質遺物、武器や工具、釘などの金属製品、玉や砥石などの石製品も出土します。我々、考古第一研究室は、それら土器・瓦以外の出土資料を調査研究しています。木製品や有機質遺物の研究については、以前の巡訪研究室で詳しく紹介しましたので(巡訪研究室「都城発掘調査部(平城地区)考古第一研究室」の紹介)、今回は、考古第一研究室(飛鳥・藤原地区)で最近取り組んでいる金属製品や石製品の研究の様子を紹介しましょう。 飛鳥寺出土の風鐸 一昨年度、飛鳥寺旧境内地の調査で大量の瓦片に混じって緑色に錆びた金属製品が出土しました。普段は目にしない形状のもので、研究室に運ばれてきた時には何であるのか見当がつきませんでした。土器や瓦は水で洗浄しますが、金属製品は錆びを進行させないようアルコールで洗浄します。丁寧に土を落とすと、吊り下げるための鈕がついた鐘形の青銅製品で、表面には薄く金が塗られていることがわかりました(写真1)。身の大部分は失われていましたが、内部にも別の吊手が取り付いており、宮殿や寺院の屋根の隅木に吊り下げられる風鐸の破片と特定できました。内部の吊手は「舌」とよばれる金具を吊るためのもので、さらに舌の下には「風招」とよばれる扇形の銅板を吊り下げます。風招が風を受けて舌を揺らすことで音が発生する仕掛けになっています(写真6)。風鐸は仏塔では軒先だけでなく、屋上を飾る相輪にも吊るされます。飛鳥寺旧境内から出土した風鐸は、小型で文様もみられないことから、塔の相輪を飾ったものと考えられます。

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    写真1 飛鳥寺出土の風鐸

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    写真2 飛鳥寺出土風鐸のⅩ線写真

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    写真3 風鐸のX線写真の撮影

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    写真4 蛍光X線分析装置に風鐸を入れる

風鐸の科学分析

飛鳥寺出土の風鐸は土中で過酷な環境にあったためか、出土した当初からが劣化が著しく、早急に保存処理をおこなう必要がありました。ただし、保存処理をおこなう前には、図面作成や写真撮影などをおこなって現状での記録をしっかりと残しておくことが不可欠です。また適切な処理を行うためには、その製品がどのような材質と技法で製作されているのかについて、科学的に詳しく調べておく必要があります。結果的にその成果は、原料の産出地や製品の製作地に関する有益な情報をもたらすことがあります。飛鳥藤原地区の考古第一研究室には保存科学の研究者も常駐しており、常日頃から連携しながら調査研究を進めています。今回の調査では、鋳造方法や構造等を把握するためのX線透過撮影(写真2・3)、原料が何かを知るための蛍光X線分析(写真4)、原料の産地を知るための鉛同位体比分析をおこないました。

調査では比較のために、過去に大官大寺の塔跡から出土した風鐸もあわせて検討することにしました。大官大寺は文武天皇が建立した藤原京第一の官寺であり、遷都に際して平城京に移り大安寺となることが知られています。大官大寺の風鐸は小さな破片となって出土したため、これまで全体の大きさや形状は確定していませんでした。今回、あらためて検討した結果、移転先である大安寺の西塔から出土した巨大な風鐸に大きさや形状が酷似することがわかりました(写真5)。

ちなみに、現在、平城宮の第一次大極殿(復元建物)に使用されている風鐸は、大安寺西塔例を参考に製作されたものです。第一次大極殿の見学の折には是非、屋根の四隅にもご注目いただき、大官大寺に吊り下げられた風鐸がいかに壮麗なものであったのかを実感していただければと思います(写真6)。 科学分析の結果、飛鳥寺と大官大寺の風鐸はそれぞれ異なる産地の原料を使用していたことが判明しました。その背景については、年代差だけでなく工房の違いが反映されている可能性もあり、今後、さらなる類例調査が必要です。

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    写真5 大安寺西塔例の復元図をもと発泡スチロールで風鐸の全形を再現し、大官大寺出土の風鐸の破片を置いて大きさや形状を検討。この作業により断片的であった各破片の部位を特定することができました。

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    写真6 平城宮第一次大極殿(復元建物)に吊り下げられた風鐸

石神遺跡出土金属製品・石製品の調査研究 また、都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区)では、現在、明日香村石神遺跡の発掘調査成果の整理・検討を進めています。この遺跡からは一般的な遺跡では考えられないほどの大量の鉄製品(鉄鏃や刀の装飾品などの武器、鎌や斧などの農工具)が出土しています。鉄製品は、通常は役目を終えた後も地金として回収・再利用されるため、飛鳥宮や藤原宮のような国家の中枢施設でもめったに出土することはありません。大量の鉄製品の出土は、石神遺跡の性格を考える上で重要なヒントになりそうです。
 遺跡から出土する鉄製品は分厚い錆で覆われており、外見からは本来の製品の形状を知ることは困難です。そのため外形だけではなく、X線写真も活用して製品本来の形状を読み取りながら実測図を作成していきます(写真8)。
junpou14_7.jpg写真7 石神遺跡から出土した大量の鉄製品と砥石の
用途をめぐって議論
junpou14_8.jpg写真8 鉄鏃の実測
(X線画像を参照しながら正確な形状を写し取ります)
石神遺跡からは、鉄製品を研ぐのに使用したとみられる砥石も大量に出土しています。砥石は、地面に置いて使用する大型のものと、手にもって使用する小型のものがあります。大型の砥石は目の粗い砂岩製、小型の砥石にはきめの細かい流紋岩製のものが多くみられます。現在のサンドペーパーが工程に応じて目の粗さを使い分けるのと同様に、大型の砥石は形状を整えるための初期の加工に、小型の砥石は仕上げやメンテナンスに使用されたよ うです(写真9・10)

石神遺跡の鉄製品や砥石の出土をめぐっては、工房や武器庫の存在を推測する意見があります。今後、さらに研究を進めて石神遺跡の性格を明らかにしたいと考えています。
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    写真9 大型砥石の使用方法の検討

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    写真10 小型砥石の使用方法の検討

研究・保存と活用のバランス 金属製品は出土後、急速に劣化が進むものもあり、状態が悪いものについては劣化の原因となる物質の除去や、表面の強化処理などをおこないます。冒頭で紹介した飛鳥寺の風鐸も現在、保存処理をおこなっているところです(写真11)。整理や処理が終わった金属製品は、温湿度調整された収蔵庫内に置かれます。また、劣化を促進する酸素や湿気を取り除く薬剤を入れて密閉状態で保管する場合もあります(写真12)。
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    写真11 風鐸に樹脂を含侵させる

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    写真12 鉄製品に薬剤を添えて密閉する

このように脆弱な遺物については、これを将来に残し伝えていくべく入念に保存管理しています。そのため、展示室等での公開・活用に一定の制約が生じる場合もあり、常時公開が困難な資料については、レプリカの作成もおこなっています。形状や見た目の質感を感じてもらえるように実物の状態を忠実に再現しています(写真13)。また今後は、三次元計測で立体モデルを作成し、パソコン上で自由に閲覧していただく方法なども併用していきたいと考えています(写真14)。

飛鳥・藤原地域の発掘調査はまだまだ謎に満ちた部分が多く、発掘現場だけでなく、ここで紹介したような研究室内の作業でも、鳥肌が立つような想定外の発見に遭遇することがあります。保存と活用とのバランスにも配慮しながら、私たちが体感した感動を皆様にもわかりやすくお伝えできるよう努めていきたいと考えています。
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    写真13 藤原宮大極殿院南門出土の富本銭
    左が実物、右がレプリカ。レプリカは樹脂製で軽いので手に持つと違いがわかるが、見た目では区別がつかない。

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    写真14 飛鳥寺出土風鐸を三次元モデルでみる
    アングルを変えて見ることで、長年の吊り下げで磨り減った鈕の細部の形状なども確認できる。

調査研究

調査・研究

 本研究室が調査研究を行っている木製品、金属器について、これまで多くの研究を実施してきました。以下に主なものを紹介します

A.『木器集成図録』の作成

 1980年代、全国的な木器集成の必要性から当研究所がその要請にこたえるべく、まずは近畿圏の木器の大綱を示し、これを図録という形で出版する計画に着手しました。府県市町村の枠をこえて集成作業をおこなうため、「近畿地方出土木器の集成研究」という集会で協議を重ねました。その結果完成したものが『木器集成図録 近畿古代編』です。図録には、木器実測図、解説のほかに出土遺跡の地名表やその概要、文献目録を掲載しています。さらに、1993年には同様の過程を経て『近畿原始編』を出版しました。これらは、今なお木器研究には必須の文献となっています。

     
B.出土銭貨に関する研究(参加・協力)

 古代貨幣史に関わる研究は、当時奈良文化財研究所考古第一研究室の室長であった松村恵司(現在文化庁)と大阪市立大学の栄原永遠男氏が、日本学術振興会科学研究費補助金の助成を受けて、平成13~19年度に『富本銭と和同開珎の系譜をめぐる比較研究』、平成20年度からの『日本初期貨幣史の再構築』によっておこない、5回の研究集会を開き、6冊の記録集を出版しました。考古第一研究室の室員もこれに積極的に関わってきました。
 これとは別に、当研究所が実施した発掘調査で出土した古代官銭の集成作業もおこなっています。2001年までに整理・登録の済んだ富本銭、和同開珎、萬年通寳の3種を『平城京出土 古代官銭集成Ⅰ』に掲載しています。また、平城京左京三条四坊七坪の和同開珎鋳造資料の整理も引き続きおこなっています。


C.法隆寺昭和資材帳作成への協力

 法隆寺昭和資財帳作成の一環として、法隆寺に現存する百萬塔に関する研究調査に協力しました。『法隆寺の至宝 昭和資財帳5 百萬塔・陀羅尼経』の中では、45000基以上の百萬塔のうち5000基について、その構造や墨書などの詳細な分析をおこないました。これらの分析から年代による製作技法の違いや工房の様子などが明らかにされています。

シンポジウム

シンポジウム・研究会

考古第一研究室が参加・協力した研究会は以下の通りです。

A.当研究所の研究集会としておこなわれたもの

■帯をめぐる諸問題 2000年11月


B.松村恵司(2008年まで本研究所所属)が交付を受けた科学研究費補助金によっておこなわれたもの

■第1回 「わが国鋳銭技術の史的検討」    2002年2月
■第2回 「古代の銀と銀銭をめぐる史的検討」 2003年3月
■第3回 「和同開珎をめぐる史的検討(1)」 2006年1月
■第4回 「和同開珎をめぐる史的検討(2)」 2008年3月
■第5回 「出土銭貨研究の課題と展望」    2009年3月

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