考古第二研究室 Archaeology Section 2

概要

考古第二研究室(平城地区)について

平城地区考古第二研究室では、都城発掘調査部がおこなった発掘調査で出土する土器・土製品、および瓦磚類や凝灰岩・礎石などの石製建築材料を対象として調査・研究をしています。ここでは土器・土製品と瓦類の調査・研究について簡単に紹介します。


土器・土製品
研究室では、調査で出土した土器・土製品を洗浄、接合、復元し、形状や製作方法から、年代や生産地、器種構成を調べます。これらの土器の分析から、遺構の年代や遺跡の性格の推定、土器の生産体制や交易・流通情況の解明、当時の生活様式の復元などに関する研究をおこなっています。


奈良時代には、やや低い温度で焼かれた土師器と、窯を使って高い温度で焼かれた須恵器の2種類の土器が使われていました。これらは食器でもあり、水などを貯蔵する容器や料理を作る調理具でもありました。時には硯(すずり)や祭祀具(さいしぐ)、おもちゃなども焼き物で作りました。このような土器・土製品の使い方がわかれば、当時の人々の生活をよりリアルに知ることができるのです。


発掘調査で土器の研究が果たすべき重要な役割のひとつが年代を決定することです。土器は作られた時代や年代によって、形や大きさ、製作技法が微妙に異なります。出土した土器が作られた年代がわかれば、地層の年代や遺構の年代を考える有力な手がかりになります。そのため、私たちは、日々「ものさし」の精度を上げるべく研究に励んでいるのです。


瓦類
寺院跡や宮殿跡の調査では非常に多くの瓦が出土し、調査・研究に際して貴重な情報を引き出すことが期待できます。瓦の文様や製作技法などから、主に瓦の年代や生産地(瓦窯)と供給地(宮殿・寺院)の関係等を研究しています。


屋根の軒先に葺く瓦を軒瓦といい、さまざまな文様で飾られています。軒瓦の文様はひとつひとつ手で彫るのではなく、笵(木型)を使って同じ文様の瓦を何百と製作していました。そのため同じ文様の瓦が何キロメートルも離れた遺跡で発見されたときには遺跡同士の関係を知ることができます。例えば、同じ文様の瓦は作られた時期が限られますので、同じ文様の瓦が出土した遺跡はほぼ同時期に存在していたことがわかります。また、軒瓦がどこで作られ、どこまで流通していたのかもわかります。これまでは軒瓦の文様の見本棚を作成し、出土した軒瓦の破片がどの文様と同じかを1点1点照合し目で判断してきました。最近は、作成した3Dモデルをパソコン上で照合するための研究を進めています。 文様の照合作業を積み重ねていくことで、瓦から歴史を復元する作業を実践しています。

  • 奈良時代では様々なものが焼き物で作られました

  • 土器を実物大の図面(実測図)に描く

  • 土器・土製品の洗浄

  • 奈文研には膨大な数の土器・土製品や瓦類が収蔵されています

  • 瓦の画像のパソコン上での合成作業

  • 同じ紋様を大量につくるための笵(木型)
    軒瓦は古代、笵は現代のものです軒瓦は古代、笵は現代のものです

考古第二研究室(飛鳥・藤原地区)について

考古第二研究室(飛鳥・藤原地区)では、飛鳥地域や藤原宮・京の発掘調査で出土した土器・土製品と、瓦磚類などの調査・研究をしています。これまでは土器・土製品と、瓦磚類等の調査研究は別々の研究室でおこなっていましたが、令和6年度に2つの研究室を統合し、新しい考古第二研究室ができました。ここではこの研究室でおこなう調査研究の、二つの柱を紹介します。


土器・土製品の調査研究

古代の都城遺跡や寺院跡にかぎらず、土器はあらゆる遺跡で出土します。考古第二研究室(飛鳥・藤原地区)では、藤原宮や藤原京、飛鳥地域の諸遺跡から出土した土器類を洗浄、接合、復元し、その形状や製作方法から、土器がつくられた年代や生産地、器種構成を調べています。これらの土器の分析から、遺構の年代や遺跡の性格を推定するとともに、土器の生産体制や交易・流通情況の解明、土器の使用法や食文化とのかかわりなどに関する研究をおこなっています。


飛鳥地域や藤原宮・京で出土する膨大な量の土器には、他地域から持ち込まれたものが少なからず含まれています。これまでの調査研究では、石神遺跡や藤原宮で出土した膨大な土器の中に、尾張産須恵器が多く含まれていることがわかってきました。このほかにも、備前産・播磨産とみられる須恵器も含まれており、その生産地の解明が課題となってきています。これからは各地の研究者との協同により、古代における土器の生産や流通に迫る研究を進めてゆきたいと考えています。


瓦磚類等の調査研究

日本で最初の瓦葺建物とされているのは、588年に創立された飛鳥寺(奈良県明日香村)です。その後は山田寺・川原寺・大官大寺など、飛鳥地域の寺院では瓦葺の堂塔が相次ぎ建立され、7世紀末に造営した藤原宮では、宮殿建築も瓦葺になりました。これらの古代寺院や藤原宮からは、これまでの発掘調査で膨大な量の瓦磚類が出土しています。考古第二研究室(飛鳥・藤原地区)では、それらの古代瓦を整理・収蔵し、瓦の文様や製作技法などから、瓦が作られた年代や生産地(瓦窯)と供給地(宮殿・寺院)との関係などを研究しています。


近年は各地の瓦窯跡から出土した瓦と、藤原宮や飛鳥地域の寺院跡から出土する瓦とを比較し、それぞれの胎土や製作技法の共通点から、後者の産地を推定する研究を継続的に実施してきました。胎土の科学的分析によると、藤原宮の軒瓦は奈良盆地産とそれ以外の地域産(遠い場所では近江・淡路・讃岐など)に大別され、奈良盆地産の軒瓦は藤原宮中枢部に、それ以外の地域で作られた軒瓦は藤原宮大垣を中心に用いられたことが明らかとなっています。藤原宮跡出土軒瓦の中には、まだ「出身地」が明らかでないものもありますので、今後分析を重ねていく予定です。

  • 土器整理室の作業風景

  • 土器整理室の風景

  • 瓦の拓本作業

  • 瓦の標本棚

調査研究

調査・研究

 古代の土器・土製品の生産と流通、使用形態は様々です。その実態の解明は、律令国家の支配体制のみならず、当時の生活や精神文化の様相、あるいは手工業生産を復元していく上で極めて重要です。そのため考古第二研究室では継続的な研究に取り組んでおり、その中で下記のような個別研究を実施してきました。


A.河南省文物考古研究所との国際共同研究(2000年~)

 2000年より中国河南省文物考古研究所との国際共同研究「鞏義市黄冶唐三彩窯址及び産品に関する共同研究」をおこなっています。毎年互いに調査団を派遣し、中国最大規模の唐三彩窯である鞏義市黄冶窯や白河窯の発掘調査および、出土品の整理・調査を中心に、研究を進めています。この共同研究の中間成果は、『鞏義黄冶唐三彩』(2003年刊)、『黄冶唐三彩窯の考古新発見』(2006年刊)、『河南省鞏義市黄冶窯跡の発掘調査概報』(2010年刊)として刊行しています。


B.平城京出土陶硯の研究(2006年~)

 古代の文書行政の普及を示す考古資料である陶硯の集成とその様相把握を目的とした研究です。奈良時代における陶硯の最大の使用地である平城京域から出土した資料をまとめ、出土傾向や種類・法量の時期的変遷などを調査しました。その成果は、『平城京出土陶硯集成Ⅰ-平城宮跡-』(2006年刊)、『平城京出土陶硯集成Ⅱ-平城京・寺院-』(2007年刊)として公表しています。


C.「畿内産土師器」の調査研究(2001~2005年)

 2000年に開催した研究会「古代土師器の生産と流通」の成果を受けて開始した研究です。宮都を中心に生産・消費された、内面に暗文と呼ばれる装飾的文様をもつ特徴的な土師器(一般に「畿内産土師器」と呼ばれています。)は、地方と中央の関係を考察する上で重要な資料です。この「畿内産土師器」の全国各地における資料状況を把握し、基礎的資料とするために、集成作業をおこないました。その成果は、『畿内産暗文土師器関連資料Ⅰ-西日本編-』(2005年刊)としてまとめています。


D.平城宮出土墨書土器の研究(1983年~)

 墨で土器に文字などを書いた墨書土器は、木簡と同じく古代の重要な文字資料としての学術的価値をもっており、遺跡の性格や土器の使用形態を示す場合もあります。平城宮から出土した墨書土器について、出土遺構の説明、釈文、実測図をまとめ、これらを公表することで、広く古代史研究に資することを目的としています。これまで『平城宮出土墨書土器集成Ⅰ』(1983年刊)、『平城宮出土墨書土器集成Ⅱ』(1989年刊)、『平城宮出土墨書土器集成Ⅲ』(2003 年刊)の3冊を出版しています。


E.記号・文字・印を刻した須恵器の研究(1997~1999年)

 文部省科学研究費補助金による「基盤研究C2:記号・文字・印を刻した須恵器の集成」についての研究です。須恵器に刻された記号・文字・刻印の意義解明と、飛鳥地域・藤原京・平城京から出土する須恵器の産地識別に役立てるため、都城および窯跡出土須恵器に記されたヘラ記号、ヘラ書き文字、刻印と陶・土製印の集成をおこないました。その研究成果は『記号・文字・印を刻した須恵器の集成』および『記号・文字・印を刻した須恵器の集成 資料編』(2000年刊)として公表しています。


F.平城宮・京出土須恵器の分類と産地同定(1989~1991年)

 文部省科学研究費補助金による「一般研究C:平城宮・京出土須恵器の分類と産地同定」についての研究です。平城宮・京から出土した須恵器の分類作業と、各地の須恵器の実見調査から、産地の同定をおこない、平城京への須恵器供給の実態解明をめざしました。その成果は『平城宮・京出土須恵器の分類と産地同定』(1992年刊)にまとめられ、その後の研究の基礎となっています。

都城の土器・土製品

都城の土器・土製品

飛鳥や藤原京、および平城京に都が置かれた時代の土器は、土師器と須恵器です。ともに専門の手工業集団が生産したもので、土師器には杯・皿・高杯などの食器と、壺などの貯蔵具、甕や鍋などの煮炊具があり、須恵器には杯・皿・高杯などの食器と、壺や甕などの貯蔵具があります。土師器と須恵器には同じ形をしたものがあり、大きさが同じであれば市場で等価で取引されていたという記録があります。他には奈良三彩や緑釉の施釉陶器、黒色土器などもありますが、これらは僅少です。

6世紀末、朝鮮半島から仏教が伝わるとともに、仏の器として金属製の食器ももたらされます。7世紀初めには、それら金属製食器を模倣して、土師器と須恵器は大きく変化します。土師器では丸底の杯が激増し、器種構成の中で主体を占めます。外面には丁寧なミガキが入り、内面には「暗文」と呼ばれる文様を放射状に施文し、金属器の光沢や質感を再現しています。須恵器では、つまみをもつ蓋とセットとなる小型の杯(杯G)が現れ、古墳時代以来の蓋杯(杯H)に徐々に取って代わっていきます。7世紀後半になると、それまでの丸底の杯に加え、安定した形の平底の杯や、底部に高台の付いた杯が数を増してきます。これは百済の土器様式に倣ったもので、「持つ食器」から「置く食器」への食事形態の変化といえます。この頃には官僚機構の整備により、官人へ給食する必要が生じます。そのため、食器は厳密な規格性のもとに、用途に応じた多くの器種と、相似関係にあるいくつかの大きさのセットから構成されるようになります。土器は税として地方から納めさせたものが多く、和泉国(大阪府)、美濃国(岐阜県)、尾張国(愛知県)、播磨国(兵庫県)、備前国(岡山県)など、さまざまな産地の土器が出土しています。

8世紀の土器も基本的にはこうした土器様式を受け継ぐものですが、一方で土器生産の合理化が進められていきます。土師器杯内面の暗文は二段放射から一段放射へと変化し、8世紀後半には暗文を施すこと自体を止めてしまいます。また、須恵器も底部を丁寧にケズリで調整することは少なくなります。8世紀後半以降は、食器の器種が減少し、大きさも縮小化の方向に向かいます。須恵器は生産地の衰退により都に供給される量が低下し、その分土師器の生産供給が多数を占めるようになります。土師器は全面ケズリ成形の採用による製作工程の省力化で大量生産が可能となりますが、製品の粗悪化をもたらします。一方、8世紀後半からは黒色土器が一般化していきます。黒色土器は土師器の内面に炭素を吸着させ、水分の吸収率を低下させた土器で、一種の改良発展版の土師器とも言うべきものです。これら土師器・須恵器・黒色土器は、9世紀以降も土器構成の主体を占め、広く使用されます。

このように、土器は年代を示す物差として極めて有効なものですが、地域間の関係を示すものでもあります。7世紀の飛鳥には、遠く東北地方から土器が持ち込まれました。日本各地の官衙や寺院などから出土する、都で作られた「畿内産土師器」やその土器を模倣した「畿内系土師器」は、都と地方の関係を示すものです。また、飛鳥・藤原地域や平城京から出土する中国の唐三彩や陶磁器、朝鮮半島の新羅土器は、大陸との交渉を物語ります。

その他、都に疫病が流行した時に、平癒を願って行った祭祀に使用した土製品も多く出土します。墨書人面土器や土馬、ミニチュア竈セットなどで、古代人の信仰を知ることができます。

成果報告書

成果報告書

■『平城宮・京出土須恵器の分類と産地同定』平成元年~3年度科学研究費補助金 1992年10月
 (一般研究C)研究成果報告 奈良国立文化財研究所
■『記号・文字・印を刻した須恵器の集成』平成9年~11年度科学研究費補助金 2000年4月
 (基盤研究C2)研究成果報告 奈良国立文化財研究所
■『記号・文字・印を刻した須恵器の集成』資料編 平成9年~11年度科学研究費補助金 2000年4月
 (基盤研究C2)研究成果報告 奈良国立文化財研究所

■『平城宮出土墨書土器集成Ⅰ』奈良国立文化財研究所 1983年3月
■『平城宮出土墨書土器集成Ⅱ』奈良国立文化財研究所 1989年3月
■『平城宮出土墨書土器集成Ⅲ』奈良文化財研究所 2003年3月

■『畿内産暗文土師器関連資料Ⅰ-西日本編-』奈良文化財研究所 2005年3月

■『平城京出土陶硯集成Ⅰ-平城宮跡-』奈良文化財研究所 2006年3月
■『平城京出土陶硯集成Ⅱ-平城京・寺院-』奈良文化財研究所 2007年3月

■『鞏義黄冶唐三彩』奈良文化財研究所 2003年2月
■『黄冶唐三彩窯の考古新発見』奈良文化財研究所 2006年3月
■『河南省鞏義市黄冶窯跡の発掘調査概報』奈良文化財研究所 2010年3月


シンポジウム

シンポジウム・研究会

考古第二研究室が中心となって開催した主なシンポジウム・研究会を紹介します。また、「古代の土器研究会」は、奈良文化財研究所外部の研究会ですが、その開催にかんして中心的役割を担ってきました。

2000年2月 研究会「古代土師器の生産と流通-畿内産土師器の各地への展開-」
奈良国立文化財研究所平城宮跡資料館講堂
1998年3月 「古代律令国家の須恵器調納制を考える」
奈良国立文化財研究所平城宮跡資料館小講堂
2000年11月 「古代律令国家の須恵器調納制を考えるⅡ」
奈良国立文化財研究所本庁舎小会議室
古代の土器研究会
1992年9月 第1回シンポジウム「古代の土器研究-律令的土器様式の西・東-」
奈良国立文化財研究所平城宮跡資料館講堂
1993年10月 第2回シンポジウム「古代の土器研究-律令的土器様式の西・東2 須恵器-」
奈良国立文化財研究所平城宮跡資料館講堂
1994年9月 第3回シンポジウム「古代の土器研究-律令的土器様式の西・東3 施釉陶器の生産と消費-」
奈良国立文化財研究所平城宮跡資料館講堂
1996年9月 第4回シンポジウム「古代の土器研究-律令的土器様式の西・東4 煮炊具-」
奈良国立文化財研究所平城宮跡資料館講堂
1997年11月 第5回シンポジウム「古代の土器研究-律令的土器様式の西・東5 7世紀の土器-」
奈良国立文化財研究所平城宮跡資料館講堂
2001年11月 第6回シンポジウム「古代の土器研究-律令的土器様式の西・東6 須恵器の製作技法とその転換-」
奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂
2003年11月 第7回シンポジウム「古代の土器研究-平安時代の緑釉陶器・生産地の様相を中心に-」
奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂
2005年11月 第8回シンポジウム「古代の土器研究-聖武朝の土器様式-」
奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂

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