保存修復科学研究室

概 要

概要

 保存修復科学研究室は、出土遺物や遺構の保存科学に関する基礎的研究をはじめ、保存処理技術・保存材料などの開発研究をおこなっています。これまでに当研究室で開発・実用化したものには、出土木簡の真空凍結乾燥法・遺構の減圧含浸工法・地層転写法・高吸水性ポリマーを用いた金銅製遺物の緑青さびのクリーニング法などがあります。これらの技術は、文化財分野をはじめ他の分野でも広く活用されています。

 また、当研究室では平城宮跡発掘調査部が実施する発掘現場と密接な協力体制をとっており、脆弱遺物の取り上げや遺構断面の転写・遺構の保存処理をはじめ、出土した木製品・金属製品・土器・石製品・ガラス製品などの分析・構造調査から保存処理までを担当しています。

 外部機関に対しては、各地から出土する遺物の保存処理に関する指導・助言や地方公共団体に所属する発掘技術者を対象とした研修「保存科学」課程を実施しています。また諸外国からの研修も受け入れています。

巡訪研究室

はじめに
遺跡からは木簡などの木製遺物をはじめ、銅銭などの金属製遺物、石製遺物、土器、瓦などの多様な遺物が出土します。こうした出土遺物は非常に脆弱な物が多く、取り扱いには細心の注意が必要です。保存修復科学研究室では、遺物の材質調査などの分析をはじめ、遺物の保存処理、遺跡の環境調査を担当しています。さらに、文化財の保存・修復方法や、劣化を抑制する技術の研究開発も行っています。今回は保存修復科学研究室の仕事について分野ごとにご紹介します。
遺物の保存処理と材質調査
遺跡で見つかる木製遺物は、種類や大きさも千差万別です。そのため、木製遺物の保存処理では、それぞれの遺物の特徴にあわせて、さまざまな手法や設備を使っています。たとえば、建築部材のような大型の木製遺物の保存処理では、文化財用としては世界最大級といわれている真空凍結乾燥(フリーズドライ)機を使用することもあります。また、木簡など比較的小型の遺物においては高級アルコール法と真空凍結乾燥法を併用して、遺物の変形を抑制しながら表面の文字(墨)が保存できるように処理しています。
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    写真1 木製遺物の保存処理に使われる大型の真空凍結乾燥機

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    写真2 木簡に保存処理用の薬剤をしみこませている様子

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    写真3 保存処理前の木簡

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    写真4 保存処理後の木簡

一方、金属製遺物は、発掘された直後には金属光沢でピカピカでも、その後にどんどん劣化が進むことがあります。金属製遺物の劣化の抑制においては、さびのコントロールがとても大事です。さびを引き起こす主な原因である「塩」は、金属製遺物の劣化にも大きく関係しています。近年、保存修復科学研究室で調査している埋没した沈没船は、水深20mの海中の塩がたくさんある環境に沈んでいます。
 こうした環境について保存修復科学研究室では、腐食のメカニズムを検討するため、実験を行います。緻密に実験装置を組み立てた後は、根気よくデータを計測していきます。また、劣化が進んでいる金属製遺物は、さびの除去・アクリル樹脂を用いた強化などの保存処理を行っています。

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    写真5 崩れゆく鉄製文化財

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    写真6 海底遺跡での調査

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    写真7 自作の実験キット

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    写真8 保存処理前後の金属製遺物

出土遺物にとっての最適な保存処理方法は、遺物の材質によって異なります。このため材質調査も欠かせません。遺跡から出土する遺物は、長期間土中にあったせいで劣化しています。そのため、肉眼では材質がわからないことがあります。材質調査は、適切な保存処理をほどこして貴重な文化財である出土遺物を未来に伝えるための大切な作業です。
 材質を知るには科学の力が必要です。科学的な調査方法にはさまざまな手法がありますが、文化財の調査は、「壊さない」、「汚さない」、「触れない」方法で行うことが原則です。そこで、文化財の科学分析ではX線が広く利用されています。保存修復科学研究室ではX線を利用した種々の機器を用いて出土遺物の材質調査を行っています。

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    写真9 蛍光X線分析による元素分析

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    写真10 蛍光X線分析による元素分析

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    写真11 X線回折分析による化合物同定

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    写真12 X線回折分析による化合物同定

遺跡の保存とフィールド調査

さて、保存修復科学研究室が扱うものには、これまでご紹介したように遺跡から持ち帰れるようなものだけではなく、現地から動かすことができないものも含まれます。たとえば古墳や磨崖仏、さらには発掘調査によって現れた昔の地盤そのものなどです。これらを保存するためには、それらの遺跡がどのような石や土からできているのか、さらには遺跡現地を取り巻く環境はどのようなものなのか、さまざまな情報を集めるために研究員が現地でフィールド調査を行います。近年は調査機器の利便性が向上したため、現地の気象データなどさまざまな情報を研究室にいながらにして取得することもできますが、やはり遺跡そのものに変化が生じていないか観察することはとても重要です。そのため、研究員はあちらこちらの発掘現場に実際に出向いて調査を行い、情報を集めています。
 こうして集めたデータを研究室に持ち帰ったあとは、今度はパソコンに向かってデータを整理し、遺跡の劣化を引き起こしている要因を検討します。フィールド調査に行くと1日中炎天下の中、歩きまわることも珍しくありませんが、パソコンの前でデータ解析を始めると一転、日中太陽を見ることもなく1日中デスクワークになります。このようにして遺跡の劣化原因を究明するとともに、シミュレーションなども援用しながら遺跡の劣化を抑制するための対策を検討します。このような室内での検討を経たのちに、再び遺跡現地に行き、遺跡保存のための対策をとるとともに、その効果をみるために調査を継続します。

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    写真13 氷点下のモンゴルでの古墳の環境調査

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    写真14 磨崖仏から析出する塩(えん)。塩は遺跡の大敵です。

遺物・遺跡の保存環境の研究

遺物を長きにわたり守っていくには、適した環境で管理することも重要です。保存修復科学研究室では、各博物館と連携し、それぞれの収蔵品をより良い環境で保管・展示できるよう館内の環境をモニタリングし、検討を重ねています。
 ここでは、キトラ古墳壁画保存管理施設での取り組みを例に、環境調査の具体例をご紹介します。 キトラ古墳壁画を保管する上では温湿度の管理が重要です。これが適切でないと壁画に悪影響を及ぼしてしまうからです。たとえば温湿度が高いとカビが発生しやすくなります。かといって、低ければいいかというと、そうではありません。乾燥により漆喰が収縮し、亀裂や剥落の原因になってしまいます。そこで、キトラ古墳壁画の場合は保管室の温度を22℃前後、相対湿度を55%前後に設定しています。さらに、温湿度を測定する装置を施設内のいたるところに設置し、壁画の保管にとって適切な状態を維持しているかを注意深く監視しています。
 また、生物への対策も必要です。自然界には、害虫やカビなどの文化財に悪影響を及ぼす有害生物がいます。条件が揃うと爆発的に繁殖することもあり、短期間で急激に被害が広がってしまいます。これを防ぐためには、侵入経路を絶ち、温湿度の管理や日々の清掃などを通して、生息しにくい環境を保つことが重要です。また、早期の発見と対策のために、侵入経路や動向の調査も必要です。当施設では各所に害虫トラップを設置し、もし虫がかかっていた場合は一匹ずつ同定し、いつ、どこで、何がどれぐらいいたのかをすべて記録しています。その他にも、定期的に壁画保管室内の空気を確認し、浮遊する菌の種類や数などを調査しています。
 このように壁画の劣化を引き起こす様々な環境要因に対して、いち早く環境の変化に気づくことで貴重なキトラ古墳壁画が損なわれることがないよう、常に注意深く環境のモニタリングをおこなっているのです。

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    写真15 温湿度を調査している様子

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    写真16 施設の入り口付近に設置された害虫用のトラップ

文化財を未来に伝えるために
 

よりよい状態で未来の人々に貴重な文化財を残していけるようにするのが私たち保存修復科学研究室の使命です。文化財を守るために、今日もたえず研究室のスタッフ全員は動き回っています。

調査研究

調査・研究

考古資料の材質・構造の調査法及び保存・修復に関する実践的研究においては、ガラス製品の製作技法の解明と劣化状態の診断法の確立を目的としたレーザーラマン分光分析法の応用研究、土ごと取り上げられた平安時代の錠前に対するX線コンピューテッドトモグラフィの適用と埋没状況の3次元解析によるレプリカ作成ならびに保存修理への活用(九博と共同)、漆や繊維製遺物の分析による考古資料の分析データの集積、木材の貧溶媒法による含浸薬剤の析出実験に取り組んでいます。

一方、遺跡の保存・整備・活用に関する技術的開発研究においては、遺構の露出展示をおこなうための遺構内における土中水移動の現状の把握と遺構を露出した場合の土中水移動変化について予測することを定量的におこなうことを目的として、福島市宮畑遺跡および日田市ガランドヤ古墳をフィールドとして、土資料の不飽和水分移動特性を表すパラメータの推定をおこなっています。

刊行物

刊行物

■『遺物・遺構の取りあげ工法』埋蔵文化財ニュース16、奈良国立文化財研究所、1978年
■『鉄製遺物の保存法』埋蔵文化財ニュース24、奈良国立文化財研究所、1980年
■『層位・遺跡断面等の剥ぎ取り転写法』埋蔵文化財ニュース28、奈良国立文化財研究所、1980年
■『層位・遺跡断面等の剥ぎ取り転写法』埋蔵文化財ニュース28、奈良国立文化財研究所、1980年
■『木製遺物の保存科学』埋蔵文化財ニュース31、奈良国立文化財研究所、1981年
■『保存処理施設の現状』埋蔵文化財ニュース36、奈良国立文化財研究所、1982年
■『遺構の保存科学』埋蔵文化財ニュース45、奈良国立文化財研究所、1984年
■『金属製遺物の接着・補填材料』埋蔵文化財ニュース46、奈良国立文化財研究所、1984年
■『銅・青銅製遺物の保存処理』埋蔵文化財ニュース63、奈良国立文化財研究所、1988年
■『保存科学関係文献目録 遺物・遺構編』埋蔵文化財ニュース68、奈良国立文化財研究所、1990年
■『保存科学関連設備と保存科学に携わる人員の調査』埋蔵文化財ニュース78、奈良国立文化財研究所、1994年
■『出土有機質遺物保存処理の最近の動向』埋蔵文化財ニュース93、奈良国立文化財研究所、2000年
■『出土金属製遺物の保存処理-応用処理から保存処理まで-』埋蔵文化財ニュース105、奈良文化財研究所、2001年
■『古代のガラス』埋蔵文化財ニュース124、奈良文化財研究所、2006年
■『特集 東アジアの文化財保存修復事情 東アジア文化財保存修復国際会議専門家会議開催』埋蔵文化財ニュース126、奈良国立文化財研究所、2007年
■『高松塚古墳 壁画保存修理のための石室解体から』埋蔵文化財ニュース131、奈良文化財研究所、2008年
■『遺跡保存のための現地調査技術』埋蔵文化財ニュース134、奈良文化財研究所、2008年
■『東アジア文化遺産保存学会第一回大会』埋蔵文化財ニュース140、奈良文化財研究所、2009年

シンポジウム・研究会

シンポジウム・研究会

保存修復科学研究室では、全国の保存科学担当者が一堂に会し、最近の保存科学に関する研究討議と情報交換をおこなう保存科学研究集会を開催しています。

保存科学研究集会2018

テーマ  : 「同位体比分析と産地推定に関する最近の動向」
開催期日 : 平成30年11月27日(火)
開催場所 : 奈良文化財研究所 平城宮跡資料館講堂

保存科学研究集会2017

テーマ  : 「金属製遺物の調査・研究に関する最近の動向」
開催期日 : 平成30年3月9日(金)
開催場所 : 奈良文化財研究所 平城宮跡資料館講堂

保存科学研究集会2016

テーマ  : 「文化財調査におけるイメージング技術の諸問題」
開催期日 : 平成29年3月3日(金)
開催場所 : 奈良文化財研究所 平城宮跡資料館講堂

保存科学研究集会2015

テーマ  : 「出土木製遺物の保存に関する最近の動向」
開催期日 : 平成28年1月22日(金)
開催場所 : 京都大学 宇治キャンパス 木質ホール3階 セミナー室

保存科学研究集会2014

テーマ  : 「石造文化財の劣化と保存に関する新たな展開」
開催期日 : 平成27年1月23日(金)
開催場所 : 奈良文化財研究所 平城宮跡資料館講堂

保存科学研究集会2013

テーマ  : 「文化財の収蔵・展示環境 」
開催期日 : 平成26年2月21日(金)
開催場所 : 奈良文化財研究所 平城宮跡資料館講堂

保存科学研究集会2012

テーマ  : 「古代の繊維-古代繊織技術研究の最近の動向-」
開催期日 : 平成25年1月17日(木)
開催場所 : 奈良文化財研究所 平城宮跡資料館講堂

保存科学研究集会2010

テーマ  : 「古代の玉-最新の保存科学的研究の動向-」
開催期日 : 平成23年2月5日(土)
開催場所 : 奈良文化財研究所 平城宮跡資料館講堂

保存科学研究集会2009

テーマ  : 「保存科学における諸問題-遺構・遺物の保存修復と展示・活用-」
開催期日 : 平成22年3月4日(木)~5日(金)
開催場所 : 九州国立博物館 ミュージアムホール

保存科学研究集会2008

※文化遺産部遺跡整備研究室と合同開催
テーマ  : 「埋蔵文化財の保存・活用における遺構露出展示の成果と課題」
開催期日 : 平成21年1月30日(金)~31日(土)
開催場所 : 奈良文化財研究所 平城宮跡資料館講堂

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