考古第二研究室Archaeology Section 2都城の土器・土製品

都城の土器・土製品

  

 飛鳥や藤原京、および平城京に都が置かれた時代の土器は、土師器と須恵器です。ともに専門の手工業集団が生産したもので、土師器には杯・皿・高杯などの食器と、壺などの貯蔵具、甕や鍋などの煮炊具があり、須恵器には杯・皿・高杯などの食器と、壺や甕などの貯蔵具があります。土師器と須恵器には同じ形をしたものがあり、大きさが同じであれば市場で等価で取引されていたという記録があります。他には奈良三彩や緑釉の施釉陶器、黒色土器などもありますが、これらは僅少です。


 6世紀末、朝鮮半島から仏教が伝わるとともに、仏の器として金属製の食器ももたらされます。7世紀初めには、それら金属製食器を模倣して、土師器と須恵器は大きく変化します。土師器では丸底の杯が激増し、器種構成の中で主体を占めます。外面には丁寧なミガキが入り、内面には「暗文」と呼ばれる文様を放射状に施文し、金属器の光沢や質感を再現しています。須恵器では、つまみをもつ蓋とセットとなる小型の杯(杯 G)が現れ、古墳時代以来の蓋杯(杯H)に徐々に取って代わっていきます。7世紀後半になると、それまでの丸底の杯に加え、安定した形の平底の杯や、底部に高台の付いた杯が数を増してきます。これは百済の土器様式に倣ったもので、「持つ食器」から「置く食器」への食事形態の変化といえます。この頃には官僚機構の整備により、官人へ給食する必要が生じます。そのため、食器は厳密な規格性のもとに、用途に応じた多くの器種と、相似関係にあるいくつかの大きさのセットから構成されるようになります。土器は税として地方から納めさせたものが多く、和泉国(大阪府)、美濃国(岐阜県)、尾張国(愛知県)、播磨国(兵庫県)、備前国(岡山県)など、さまざまな産地の土器が出土しています。

 8世紀の土器も基本的にはこうした土器様式を受け継ぐものですが、一方で土器生産の合理化が進められていきます。土師器杯内面の暗文は二段放射から一段放射へと変化し、8世紀後半には暗文を施すこと自体を止めてしまいます。また、須恵器も底部を丁寧にケズリで調整することは少なくなります。8世紀後半以降は、食器の器種が減少し、大きさも縮小化の方向に向かいます。須恵器は生産地の衰退により都に供給される量が低下し、その分土師器の生産供給が多数を占めるようになります。土師器は全面ケズリ成形の採用による製作工程の省力化で大量生産が可能となりますが、製品の粗悪化をもたらします。一方、8世紀後半からは黒色土器が一般化していきます。黒色土器は土師器の内面に炭素を吸着させ、水分の吸収率を低下させた土器で、一種の改良発展版の土師器とも言うべきものです。これら土師器・須恵器・黒色土器は、9世紀以降も土器構成の主体を占め、広く使用されます。

 このように、土器は年代を示す物差として極めて有効なものですが、地域間の関係を示すものでもあります。7世紀の飛鳥には、遠く東北地方から土器が持ち込まれました。日本各地の官衙や寺院などから出土する、都で作られた「畿内産土師器」やその土器を模倣した「畿内系土師器」は、都と地方の関係を示すものです。また、飛鳥・藤原地域や平城京から出土する中国の唐三彩や陶磁器、朝鮮半島の新羅土器は、大陸との交渉を物語ります。

 その他、都に疫病が流行した時に、平癒を願って行った祭祀に使用した土製品も多く出土します。墨書人面土器や土馬、ミニチュア竈セットなどで、古代人の信仰を知ることができます。



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