お知らせ

 

【飛鳥のくらし】お米づくりの今昔②

(前回の続き)現在の飛鳥の田園風景からはなかなか想像しづらいですが、飛鳥では中世から水不足が続いてきました。平安時代末の橿原市飛騨町付近を描いた『大和国飛騨庄実検図(やまとのくにひだのしょうじっけんず)』をみると、農地のうちで用水を必要としない畑の割合が高いことに気づきます。現在も地域のお年寄りのなかには水が足りず、7月になっても田植えができなかったので、井戸を掘って地下水をくみ上げたことを記憶している方もいらっしゃいます。また稲を植えた後も田んぼの水が干上がった際には、茶瓶で水を汲み、稲の根本やひび割れたところに水をさしに行ったそうです。

こうした状況を一変させたのが、吉野川(紀ノ川)を水源とする吉野川分水でした。1954年には明日香村中心部への建設が計画され、水路の敷設が予定された地区の発掘調査を奈良文化財研究所がおこないました。建設予定地に重要な遺跡を確認した場合はそこへの建設を避け、どうしても回避が難しい箇所では遺跡を記録するためでした。1955年から1959年にかけて飛鳥寺跡、川原寺跡、伝飛鳥板葺宮跡の発掘調査をおこない、それまでの古代史の理解を塗り替える重要な成果を発見しました。この飛鳥寺跡の発掘調査が奈文研による飛鳥での記念すべき第1号調査です。

また、吉野川分水の開通によって水不足が解消されたことで、必要性が低下した農業用ため池はしだいに埋め立てられました。こうした動きにともない、ため池の発掘調査もおこなわれました。例えば明治時代築造の小山池を埋め立てて水田とする工事に際しては、奈文研が発掘調査をおこない、文武朝大官大寺との関連が想定される施設を発見しました。

稲穂がたわわに実る現在の飛鳥の田園風景の成り立ちには、吉野川分水が大きな影響を与えています。そして用水をめぐるくらしの変化にともなって、発掘調査と遺跡の発見が進められてきたのです。

第14回写真コンテストのテーマは「飛鳥のくらし」です。風景や物、作業、行事など、「飛鳥のくらし」にまつわる写真を広く募集します。6月30日(金)まで、みなさまのご応募をお待ちしております。応募方法等の詳細はこちら

 

参考文献奈良国立文化財研究所編(1958)『奈良国立文化財研究所学報第五冊 飛鳥寺発掘調査報告』文化庁 奈良国立文化財研究所(1980)『飛鳥・藤原宮発掘調査概報10』奈良国立文化財研究所

 

 

蓋の上に石やブロックを置かれている古井戸

現在も水田の脇に残る井戸

整備されている水路

飛鳥の水田に水をもたらす吉野川分水26号開渠(かいきょ)

田んぼの中にある飛鳥寺と発掘調査中の遺構が写るモノクロの航空写真

1956年度の飛鳥寺発掘調査(写真左方で南門・中門跡を確認)

出典:奈良国立文化財研究所編(1958)『奈良国立文化財研究所学報第五冊 飛鳥寺発掘調査報告』文化庁

2023年05月24日(水曜日)

ブログ
 
 
展示
ご利用案内・アクセス
学び
飛鳥資料館について
ミユージアムショップ
お知らせお問い合わせ

他の言語を選ぶ