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【飛鳥のくらし】お米づくりの今昔①

5月の飛鳥では、お米づくりの準備が始まっています。田んぼの土が均(なら)されて畦が整えられると、稲の苗を育てる苗代(なわしろ)が作られます。籾をまいた後の苗代田では、水を取り入れる水口(みなくち)近くにツツジなどの季節の草花が供えられることもあります。苗代田につながる水路には水が引かれ、ごうごうと音を立てながら新緑の飛鳥を潤していきます。

こうした現在の光景からはなかなか想像できませんが、1950年代に大規模な農業用水の建設が着手されるまで、飛鳥を含む奈良盆地では水不足が深刻化していました。一方で古代の飛鳥は、噴水・導水機能をもった多様な石造物が造られたことから類推できるように、豊富な水に恵まれていました。飛鳥時代から現在までの間には、水や農業用水をめぐる大きな変化があったのです。

平安時代以降、飛鳥川は自らの侵食作用で川底を掘り下げ、さらに川沿いに土砂を積み重ねながら段丘を作り上げました。その結果、川面から水田までの高低差が逆転し、川の水を段丘の上の水田に引くためには上流から水路を敷くか、取水口に水車を設ける必要が生じます。江戸・明治時代には用水を確保しようとため池の築造も進みますが、用水の受益権をめぐって村どうしでの訴訟が頻発しました。甘樫丘の東麓で飛鳥川東岸から取水し、北へ流れる百貫川(ひゃっかんがわ)は、その取水権をめぐる裁判にかかった費用の膨大さから名付けられたとも伝わっています。

こうした来歴をふまえて飛鳥の田園風景を眺めると、古代ロマンだけでなく、水を得るのに苦労しながら培ってきたくらしの歴史も感じられるかもしれません。(続く)

 

第14回写真コンテストのテーマは「飛鳥のくらし」です。風景や物、作業、行事など、「飛鳥のくらし」にまつわる写真を広く募集します。6月30日(金)まで、みなさまのご応募をお待ちしております。応募方法等の詳細はこちら

 

参考文献
河角龍典(2001)「「飛鳥・藤原地域」における弥生時代中期以降の地形環境変遷と土地開発」『人文地理』53(5)

 

 

夕焼けのふるみや土壇近くの田植前の水田で作業をしている人がいる写真.jpg

第12回写真コンテスト「飛鳥の木」 正四位写真司「田植え準備」野口文男様

小さな滝がだんだんと続く棚田の水路の画像

新緑の飛鳥を潤す棚田の水路

2023年05月17日(水曜日)

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