6月10日は時の記念日です。これは、『日本書紀』天智天皇10年4月25日に漏刻(水時計)を設置した記載があり、これが現在の暦に当てはめると671年6月10日なので、大正9年(1920)にこの日と制定されました。詳しくはこちらの記事をご覧ください。
さて、上記の記事でも触れていますが、『日本書紀』に初めて漏刻の記述が登場するのはそれより11年前、斉明天皇6年(660)5月の記事です。今回はその記事を見てみましょう。
【『日本書紀』斉明天皇6年(660)5月是月条】
是月、(中略)又皇太子、初造漏剋。使民知時。(後略)
【『日本書紀』天智天皇10年(671)4月辛卯(25日)条】
夏四月丁卯朔辛卯、置漏剋於新台。始打候時。動鐘鼓。始用漏剋。此漏剋者、天皇為皇太子時、始親所製造也、云々。
※原文はいずれも、坂本太郎ほか 1965「日本書紀」下 『日本古典文学大系』68 岩波書店より。訓点は省いた。
斉明天皇6年の記事は、この月に皇太子(中大兄皇子。後の天智天皇)が初めて漏刻を作って、民に時を知らせたことが書かれています。また、天智天皇10年の記事は、漏刻を新しい台に設置し、時刻を鐘や鼓を打ち鳴らして時を知らせたが、この漏刻は天皇が皇太子時代に初めて自ら作られたものだ、ということが書かれています。
斉明天皇6年に設置されたとされる漏刻は天智天皇がまだ皇太子時代に設置したものですので、この時の都の場所を考えると、飛鳥に設置されたものでしょう。この漏刻を設置した場所が、明日香村にある水落遺跡と考えられています。現地への行き方は昨年の記事をご覧ください。
一方、記念日の制定に関わった天智天皇10年の漏刻ですが、この時、都は近江にありました。天智天皇は皇太子時代に造った漏刻を、自ら遷都した近江にも造ったということになります。しかし残念なことにこちらの漏刻の痕跡はいまだ発見されていないのが現状です。
2025年06月06日(金曜日)