現在、飛鳥の山々はスギとヒノキの植林に覆われていますが、ひと昔前の山では木々は今よりもまばらでした。昭和40年代まで、集落近くの山では薪炭材や木材を得るために木々が利用されてきました。古写真に写る草山や落葉広葉樹林が広がる里山は、こうしたくらしのなかで維持されてきたのです。
落葉樹を主体とする飛鳥の山の姿は古代の記録にも登場します。『万葉集』に収められた「真澄鏡南渕山は今日もかも白露置きて黄葉散るらむ」という歌(巻10-2206)では、南淵山(現在の明日香村稲渕・阪田付近)で落葉する「黄葉」が題材となっています。この南淵山に関しては、天武天皇5年(676)の勅令で草や薪の採取が禁じられたことが『日本書紀』に記載されています。古代の飛鳥では、草や薪の採取を通じて「黄葉」が舞い落ちるような落葉広葉樹の山が形作られていたのかもしれません。
古代以降も山の資源は重要なくらしの糧でした。これらは日常的に煮炊きや牛馬の餌などに用いられていましたが、貴重な現金収入にもなりました。明治17年(1884)の統計によると、入谷村・畑村(現明日香村入谷・畑)では8,450本の材木が伐り出されています。その売り上げは同じ年に両村で収穫された米よりも高かったと考えられます。また、畑村のような山間部で自家消費分以上に採れた薪炭材は、大阪方面へ運ばれて売却されました。今日、これらの生業は木材や薪炭材の需要縮小に伴って落ち着きを見せています。しかし、シイタケ栽培や山菜の採取などは現在もなお活発です。飛鳥の山は人々のくらしとともに姿を変えながら、長きにわたって継承されてきたのです。
第14回写真コンテストのテーマは「飛鳥のくらし」です。風景や物、作業、行事など、「飛鳥のくらし」にまつわる写真を広く募集します。6月30日(金)まで、みなさまのご応募をお待ちしております。応募方法などの詳細はこちら。
参考文献・史料西田紀子・奈良文化財研究所飛鳥資料館編(2019)『飛鳥資料館図録第72冊 飛鳥―自然と人とー』奈良文化財研究所飛鳥資料館「明治十八年 農工商衰頽原因調書」『奈良県庁文書』奈良県立図書情報館蔵
1969年ごろの飛鳥集落と山林
2016年の飛鳥集落と山林
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第12回写真コンテスト「飛鳥の木」正二位飛鳥木左大臣「雨後の光芒」東吉輝様
明日香村尾曾のシイタケ栽培
2023年06月14日(水曜日)