史料研究室

概 要

研究室の業務

史料研究室では平城宮跡など及び藤原宮跡等から出土した木簡の調査研究や史料の収集を行なっています。

 また木簡など出土文字資料の整理・保管をはじめ、釈読をはじめとする調査・研究、木簡概報・木簡図録の作成、木簡に関するデータベースの公開、木簡の実物展示などを行なっています。また、墨書土器・文字瓦などの解読や、他機関で発掘された出土文字資料の解読の協力も行なっています。さらに来年からは出土文字資料に関する埋蔵文化財研修を行なう予定にしています。
赤外線画像を使った
木簡釈読の様子

巡訪研究室(平城地区)

1.都城発掘調査部の文字担当 史料研究室は、文字資料を研究の対象としています。
 都城発掘調査部の文字担当として発掘調査に参加し、(1)遺跡の性格を理解するための文字資料を収集・検討するとともに、(2)発掘調査で出土した文字資料の釈読にあたっています。中でも木簡については、釈読だけではなく、整理・保管から公開・活用に至るまでを担当し、現在もっとも比重の大きい仕事になっています。
 (1)としては、平城宮の官司名の比定を試みたり、建物復元に資する情報を集めたりしています。最近の成果として、平城宮東方官衙の大型基壇建物を弁官曹司正殿と推定したこと(平城第615次調査)、文献と発掘遺構のフィードバックから、奈良時代の興福寺鐘楼は袴腰をもつ建物で、袴腰付き鐘楼の日本最古の事例になる可能性があると指摘したこと(平城第625次調査)などが挙げられます。
平城宮東方官衙地区の大型基壇建物 興福寺の鐘楼
(2)について、木簡の出土から公開に至るまでの流れについては、巡訪研究室(9)(飛鳥・藤原地区)史料研究室で詳しくご紹介していますので、そちらをご参照ください。
 木簡の公開・活用については、毎年秋に平城宮跡資料館で木簡の実物展示「地下の正倉院展」を開催しています。地下の正倉院展は2007年度にスタートし、2020年度で14回目を迎えました。遺物保護の観点から、普段は木簡のレプリカを展示しているため、地下の正倉院展は、本物の木簡をまとまった点数ご覧いただける数少ない機会となっています。
 また、各種のデータベースを公開するなど、積極的な情報発信に努めています。
展示会場の様子(2019年度) 展示木簡の様子(2019年度)
2.木簡のナショナルセンター 奈良文化財研究所は、日本で最も多くの木簡を調査・保管する機関で、そのうち約8割は平城地区で保管しています。そのため、(1)日本の木簡研究の中心拠点としての機能を担い、(2)海外との交流の中心として、国際的な共同研究をおこなっています。
 (1)については、木簡学会と協力しながら全国の木簡出土情報を収集しています。奈文研のデータベースでは、奈文研保管の木簡だけではなく、全国の調査機関の木簡に関する情報も検索することができます。また、他の調査機関からの出土文字資料の釈読依頼にも対応しています。
 (2)の成果として、「史的文字データベース連携検索システム」を公開しています。国内外の複数機関が所蔵・管理する史的文字について、紀元前後から 19 世紀におよぶ高精細な文字画像を、横断的に検索することができます。
 平城地区で保管している木簡のなかには、国宝・平城宮跡出土木簡や重要文化財・長屋王家木簡もあります。それらの魅力をより広く社会に発信していきたいと思っています。
  • 国宝・平城宮跡出土木簡

巡訪研究室(飛鳥・藤原地区)

【飛鳥時代の考古学―『日本書紀』『続日本紀』を掘る】
都城発掘調査部がおこなう発掘調査には、歴史学のスタッフが考古学の研究者とチームを組んで参加しています。歴史時代の考古学は、文字で記された史料が重要な手がかりとなるからです。藤原宮跡で検出した7基の柱穴が『続日本紀』にみえる大宝元年(701)元日朝賀に立てられた旗竿であることを明らかにした調査は、その好例です(写真①)。
写真① 大宝元年元日朝賀のようすの復元。
復元した幢幡を検出した柱穴付近に配置した。
奥の森が藤原宮大極殿(南から)。
写真② 飛鳥・藤原地域から出土した主な木簡。
右から、石神遺跡出土の乙丑年荷札(赤外線画像)、
飛鳥池遺跡出土の「天皇」木簡(赤外線画像)、
藤原宮跡出土の文書木簡。
【木簡の整理作業―史料研究室の日常業務】
史料研究室は、出土する遺物のうち木簡の整理を担当しています。木簡は、地中から出土した墨などで文字が記された木製品のことで、日本各地の遺跡から、古代から戦前までのものが46万8千点余り出土しています。和銅3年(710)に平城京に遷都する以前、藤原宮期までの木簡は全国で4万5千点ほど知られ、飛鳥・藤原地区ではそのうち3万9千点余りを保管しています(2019年末現在)。そのなかには、「乙丑年」(天智天皇4年=665年)の年紀を記した最古の荷札木簡や「天皇」と記した最古の木簡、藤原宮で使われた行政文書の木簡などがあります(写真②)。ここでは、木簡の整理作業の過程を紹介します。 出土 木簡は、地中の安定した環境で豊富な地下水に守られてきました。多くの木簡は、木片やそのほかの有機物とまじって出土するため、発見時には特有のにおい(「上品な、くさったどぶのにおい」)を感じます。1300年以上の長い間地中に埋もれていた木簡は、大量の水分を含んでおり、空気にさらすと急速に乾燥が進み壊れてしまいます。また、紫外線は、人間のお肌のみならず、木簡にとっても大敵です。そこで、出土から当分の間、木簡を水に浸した状態で保管します。奈文研では、腐食を防ぐため、ホウ酸とホウ砂をまぜた薄い水溶液を用いています。 洗浄 木簡はとても脆弱な遺物であるため、現場から土ごと持ち帰り、整理室で洗浄します。威勢よくゴシゴシ洗ってしまうと、墨まで洗い落としかねません。そのため、柔らかい穂先の筆を選び、壊さないよう慎重かつ丁寧に取り扱います(写真③④)。 記帳・釈読 洗浄した木簡は、その形状や書かれている文字を記録します。この作業を記帳と呼びます。記帳は、木簡をじっくり観察する機会であり、釈読のためのもっとも基本的な作業です。木簡の観察は肉眼を基本としますが、文字を読むためには赤外線機器を用いることも多く(写真⑤)、木取りや樹種の判断には顕微鏡が欠かせません(写真⑥)。
  • 写真③ 木簡の洗浄作業。

  • 写真④ 洗浄に使う筆や道具。通称「なみへい」という、
    毛一本のみを残した筆(黒い柄の筆)を自作します。

  • 写真⑤ 赤外線機器を用いた木簡観察のようす。木肌は赤外線を反射して白く、墨は赤外線を吸収して黒く映ります。

  • 写真⑥ 実体顕微鏡による木簡の画像。近年、木の専門家の指導をうけつつ、私たち自身でも樹種や木取りなどの観察を試みるようにしています。

撮影 写真は、写真室のスタッフが撮影します(写真⑦)。撮影した写真は、原寸大で写真台紙に貼り付けて整理されます。これらの写真は、しばしば書籍や各地の博物館図録などに利用されており、写真貸し出しの手配も意外に頻度の高い業務の一つです。
  • 写真⑦ 写真室のスタッフによる撮影のようす。かつては大判のモノクロフィルム、近年はカラー・赤外のデジタル画像で解像度の高い記録を残しています。

釈文の公表 記帳、撮影により現状を記録し釈読できた木簡は、奈文研紀要の発掘報告や『飛鳥・藤原宮発掘調査出土木簡概報』(現在22号まで刊行)、奈文研のデータベース「木簡庫」などでその主要なものを紹介しています。 保管公表した木簡は、普段は人が立ち入らない収蔵庫で大切に保管しています(写真⑧)。こののち木簡の現物をみることはごくごく稀で、日常的な調査研究は記帳と写真台紙を用います。年に一度、水替えと呼ぶ木簡の保管状態を確認する作業をおこないます。バットの水は減っていないか、汚れていないか、木簡を保護するざぶとんは腐食していないか。ぬめり、異臭、汚れなど異変を見落とさぬよう、まさに五感を駆使して点検します(写真⑨)。人間ドックのような、木簡の健康診断ともいえます。
  • 写真⑧ 水漬け木簡の収蔵庫。

  • 写真⑨ 水替えのようす。木簡を保管している1000を超えるすべてのバットの状態を確認します。汚れていれば、木簡を丁寧に取り出し、水とざぶとんを取り替えます。

【木簡の公開と保存―史料研究室の長期的な業務】
正報告の刊行
1文字以上釈読できたものを対象に、原寸大の写真を掲載した正報告書(図録)を作成します。1978年に刊行した『藤原宮木簡一』以来、これまで『藤原宮木簡』を4冊、飛鳥地域・藤原京域を対象にした『飛鳥藤原京木簡』を2冊刊行しました(写真⑩)。ただ、図録の刊行には周到な準備と研究が必要で、30年近く前の出土資料をも対象に粛々と刊行しているところです。 展示公開 2010年に飛鳥資料館で開催した「木簡黎明」展は、全国の主な7世紀木簡を一堂に会したもので、7世紀木簡の優品を簡便にみられる図録とともに好評を博しました。このほか、水漬け状態の木簡をご覧いただく展示も随時企画しています(写真⑪)。 保存処理 正報告を終えた木簡は、科学的な保存処理をほどこします。保存処理は、木簡をより安定した環境で保管するために欠かせない作業です。保存科学を担当する職員と相談しながら進めますが、処理のための準備作業も多く、保存処理はなかなか進みません。保存処理を済ませた木簡は、報告済木簡の18%、保管する木簡全体では3%に限られています。
写真⑩ 飛鳥・藤原地区史料研究室の刊行物。
最新刊『藤原宮木簡四』(2019年)までで、
飛鳥・藤原地区で保管する木簡の
約70%を対象に正報告を終えました。
写真⑪
2019年4月に開催した展示の
リーフレット表紙。
【最近の調査研究】
飛鳥・藤原地区史料研究室では、現在3つのプロジェクトを主催しています。 明日香村西橘遺跡木簡の研究 この研究は、奈良県の明日香村からの受託研究として、西橘遺跡から出土した約270点の木簡について、保存処理を経たうえであらためて釈文を確定し、遺跡の性格を明らかにするためのものです。この遺跡から出土した土器は7世紀後半の基準資料となりうる一括性の高い重要な資料群であり、木簡は、その年代を確定する鍵になります。外部の有識者をお招きした検討会を継続して開催し、その性格が明らかになりはじめています(2019~2022年度予定)。 古代但馬国関係出土文字資料の研究 この研究は、兵庫県豊岡市との連携研究として、古代但馬国関係の出土文字資料を悉皆調査して、古代但馬国の性格を明らかにするためのものです。これまでに木簡459点、墨書土器約1200点の調査と撮影を終え、現在、その成果報告書を編集しています(2016~2021年度予定)。 畿内仏都圏出土墨書土器の収集 この研究は、科学研究費の助成をうけておこなっているもので、畿内とその近国の墨書土器、刻書土器、文字瓦などの出土文字資料を収集し調査研究の基盤を作成することを目的としています。現在、まず奈良県内の出土資料12000点余りをまとめ公表する準備を進めています(2016~2019年度)。
 以上のほか、飛鳥・藤原地区史料研究室は、全国の調査機関からの依頼により木簡や墨書土器などの釈読に協力したり、大極殿院復原研究にかかわる平安時代までの文献史料の収集、呪符木簡の研究など、さまざまな調査研究を進めています。とはいえ、飛鳥・藤原地区に配属され、史料研究室の業務にかかわる研究職員は筆者一人。その歩みは牛歩のごときもので、多くの方々の助力なしにはいかんともしがたいところです。
【終わりに】
飛鳥・藤原地区史料研究室での木簡の解読は、飛鳥・藤原宮の時代に生きた人びとから、おそらくはその意図に反して伝えられた「地下からの贈り物」を受け取り、古代の人びとを除いて最初に解読するという、身に余る贅沢な仕事です。木簡の難解な文字を前にして何時間も悩みつづけたのちに、その「解」がふっと舞い降りてきたとき、不思議な陶酔感に浸ることがあります。このときの心地よさは、我われ木簡読みの醍醐味だと思います。

調査研究

調査・研究

本研究所では平城地区で約20万点、飛鳥藤原地区で約4万点の計24万点の木簡を保管しています。通常業務の中で以下の作業を中心に行なっています。


木簡概報の作成

『平城宮発掘調査出土木簡概報』・『飛鳥・藤原宮発掘調査出土木簡概報』の作成を行なっています。木簡の出土後、できるだけ早く木簡の釈文・法量などを公開しているものです。


木簡図録の作成

木簡の全点を対象に詳細な調査を行なった上で、釈文・写真を掲載したものです。これまでに、『平城宮木簡』7冊、『平城京木簡』3冊、『藤原宮木簡』4冊、『飛鳥藤原京木簡』2冊、この他に『平城京漆紙文書』、『評制下荷札木簡集成』などを刊行しています。このうち真陽社や八木書店から市販されているものもあります。


データベースの公開

木簡学会の協力を得て、1999年から木簡に関するデータベースを公開しています。
現在は『木簡庫』(2018年から)、『木簡庫』『電子くずし字字典データベース』連携検索(東京大学史料編纂所の『電子くずし字字典データベース』との連携検索、2009年から)、『全国木簡出土遺跡・報告書データベース』(2005年から)、『木簡人名データベース』(2011年から)、『墨書土器画像データベース(墨書土器字典)』(2011年から)、『古代地名検索システム』(2015年から)を公開しています。
また、2008年から木簡に関する総合情報サイトとして『木簡ひろば』を開設しています。


木簡の展示

『地下の正倉院展』『藤原京跡出土木簡の展示』と題して、木簡の実物展示を行なっています。


『日本古代人名辞典』の増補改訂

木簡にはたくさんの人名が記されています。これらの情報を加えた新しい『日本古代人名辞典』の作成に向けて準備をしています。

木簡とは

木簡とは?

木簡出土の様子
発掘によって見つかる墨書のある木片を、広く木簡と呼んでいます。発掘によってみつかる出土文字資料には、木簡のほかに、墨書土器、漆紙文書などがありますが、情報量の多さという点で、木簡は最も代表的な出土文字資料といえます。2003年以降、平城宮跡をはじめ、広島県草戸千軒町遺跡、山田寺跡、滋賀県西河原遺跡群などの木簡が、順次国の重要文化財に指定されています。
木簡の保管状況
木簡の発見記録は江戸時代にもあり(秋田県小ヶ田埋没家屋。『菅江真澄全集』九)、現物の伝わるものとしては、昭和初期の秋田県払田柵跡や三重県柚井遺跡で見つかった木簡の例がありますが、本格的な研究の始まりは、1961年(昭和36)1月の平城宮跡最初の木簡の発見がきっかけになりました(復元された第一次大極殿の北側に奈良時代後半に設けられた役所〈推定大膳職〉のゴミ穴SK219)。以後半世紀、木簡出土事例は全国各都道府県に広がり、年代も630年代頃から近代にまで及んでいます。木簡はまさに時間と空間を越えた普遍的資料といえます。全国の木簡出土遺跡は既に1000を超え、総点数は約37万点以上に達しています。そのうち平城宮・京跡で約17万点、飛鳥藤原地域で35000点に及んでいます。
木簡の型式分類
有機物は、常に乾燥状態にあるか、逆に湿潤で日光(紫外線)と空気(酸素)から遮られた状態にないと、腐って残りません。日本では乾燥は難しいため、湿潤な環境にあることが木簡が残るための絶対条件です。川や溝、井戸、ゴミ穴、低湿地などが、木簡が出土しやすい場所です。
そうはいっても木簡はたいへん脆い遺物で、水分によって辛うじて形を保っているに過ぎません、木簡にとっては水が命の源なのです。ですから、保存は水につけた状態で行います。水道水で差し支えありませんが、奈文研では、防腐剤として0.4%程度のホウ酸ホウ砂水溶液(ホウ砂はph調整用。ホウ酸:ホウ砂=1:7)を使用しています(かつてはホルマリン水溶液を使っていましたが、30年ほど前に取り扱いが楽なホウ酸ホウ砂に代えました)。

木簡は文字資料ですが、文字だけが木簡の情報ではありません。木簡は文字を書くための木製品で、なによりも発掘で見つかる考古遺物です。そこで、ものとしての形によって分類することが行われています。奈文研では、平城宮跡の木簡の研究によって考え出された18型式に分類しています。
また、内容的には、文書木簡(手紙の木簡、帳簿・伝票の木簡)、付札木簡(租税を納める際の荷札木簡、保管の際のラベルの木簡)、習書・落書木簡その他、3つに分類することが広く行われています。

成果報告書

成果報告書

『平城宮木簡』

1966年11月・1969年11月 『平城宮木簡一』奈良国立文化財研究所史料第5冊
1974年11月・1975年1月 『平城宮木簡二』奈良国立文化財研究所史料第8冊
1981年3月 『平城宮木簡三』奈良国立文化財研究所史料第17冊
1986年3月 『平城宮木簡四』奈良国立文化財研究所史料第28冊
1996年3月 『平城宮木簡五』奈良国立文化財研究所史料第42冊
2004年3月 『平城宮木簡六』奈良文化財研究所史料第63冊
2010年3月 『平城宮木簡七』奈良文化財研究所史料第85冊


『平城京木簡』

1995年3月 『平城京木簡一 -長屋王家木簡一-』奈良国立文化財研究所史料第41冊
2001年1月 『平城京木簡二 -長屋王家木簡二-』奈良国立文化財研究所史料第53冊
2006年3月 『平城京木簡三 -二条大路木簡一-』奈良文化財研究所史料第75冊


『藤原宮木簡』

1978年1月 『藤原宮木簡一』奈良国立文化財研究所史料第12冊
1980年3月 『藤原宮木簡二』奈良国立文化財研究所史料第18冊
2012年1月 『藤原宮木簡三』奈良国立文化財研究所史料第88冊
2019年1月 『藤原宮木簡四』奈良国立文化財研究所史料第91冊


『飛鳥藤原京木簡』

2007年3月 『飛鳥藤原京木簡一 -飛鳥池・山田寺木簡-』奈良文化財研究所史料第79冊
2009年3月 『飛鳥藤原京木簡二 -藤原京木簡一-』奈良文化財研究所史料第82冊

シンポジウム

シンポジウム・研究会

木簡学会

毎年12月の第一土日に行なわれる、木簡について検討する学会です。『木簡研究』を毎年発行しています。この学会設立にともない、1976年から77年にかけて3度の木簡研究集会を研究所が主催し、現在も史料研究室に事務局を置いています。


木簡ワークショップ

2007年11月23日 第一回 公開シンポジウム「木簡研究の最前線」平城宮跡資料館講堂
2009年1月9日 第二回 「出土文字資料の活用方法の検討」奈良文化財研究所小講堂
2010年1月8日 第三回 「木簡資料の公表のあり方について」奈良文化財研究所管理部会議室

リンク

リンク

木簡ひろば【システム改変のため調整中】

木簡データベース
2018年6月25日に閉鎖し、後継サービスの木簡庫に移行します。

木簡画像データベース[木簡字典]
2018年6月25日に閉鎖し、後継サービスの木簡庫に移行します。

全国木簡出土遺跡・報告書データベース

木簡庫(Wooden Tablet Database)

上に戻る