中国-西安(長安)の文化財
中国社会科学院考古研究所との共同調査
【共同調査の意味】
 日本の古代都城は、中国の都を参考にしてつくられました。奈良時代の都である平城京も、中国唐時代の都・長安(現在の西安)をモデルとしています。こうしたことから、中国の都城の研究を行うことは、日本の古代都城のありかたを解明するうえで大きな手がかりになると考えられます。奈良文化財研究所では、中国で都城遺跡の発掘調査や研究の中心的な役割を果たしている中国社会科学院考古研究所と共同で、日本と中国の都城の比較研究を行ってきました。2001年からは、唐の長安城にあった大明宮太液池の発掘調査研究を実施し、2005年に終了しました。

【唐大明宮太液池の調査】
 唐時代(618~907年)の都、長安城の東北部に大明宮という宮城がありました。その規模は、南北2.3㎞、東西1.3㎞におよび、平城宮の2倍ほどの広さです。大明宮は高宗の時代、663年に竣工しました。南半には、政治の場である含元殿、宣政殿、紫宸殿といった宮殿が建ち並び、北半には外国からの使節をもてなした麟徳殿や、太液池と呼ばれる巨大な池を中心とした庭園がありました。
 この太液池は、神仙世界を表すために大海と仙人の住む島を模して造られたもので、現在も池跡の中央には、「蓬莱島」と呼ばれる人工の島が小高い丘として残っています。1998年に、中国社会科学院考古研究所がボーリング調査によって池の範囲を把握し、その結果にもとづいて共同発掘調査を開始しました。
 5年にわたる発掘調査では、これまでに知られていなかった池の様子が明らかになりました。池岸は土を突き固めた人工のもので、池の周囲からは多数の建物、回廊、道路、および配水施設などが見つかりました。池の北西には池に水を供給する巨大な導水路があり、この水路の近くでもう一つの人工の島を確認しました。島と池岸の間には高床式の水上建物が造られていました。また、蓬莱島の南側には、玉石を敷き詰めた岸(州浜)や庭石があり、池をのぞむ東屋や道路も見つかりました。池の南岸にも大きな水上建物があり、岸とは橋でつながれていました。
 このような皇帝の庭園の大規模な発掘調査は、中国でもはじめての試みでした。中国国内にとどまらず、東アジアの古代を考えるうえでもたいへん重要な成果を得たことになります。

【共同研究の今後】
 5年間の発掘調査で出土した資料は膨大な数にのぼります。現在はこうした資料を整理し、報告書の作成にむけた共同作業を続けています。日中双方の研究者が、それぞれの長所をいかして相互に検討を重ね、中国だけではなく、朝鮮半島、日本をも視野にいれた東アジアにおける古代都城の比較研究を発展させていくことが目標です。

唐長安城大明宮太液池の南岸


唐長安城大明宮太液池と蓬莱島跡


遺跡の撮影風景