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1967年、平城宮東張出し部の南東隅に大きな庭園の遺跡が発見されました。この場所は『続日本紀』にみえる「東院」にあたることから、発見された庭園は「東院庭園」となづけられました。それまで奈良時代の庭園については古い文献からそのようすをうかがうのみでしたが、この発見を契機に発掘調査を継続した結果、庭園部分とその周辺一帯の様相がほぼあきらかになりました。東院庭園は東西80m×南北100mの敷地の中央に複雑な形の汀線をもつ洲浜敷の池を設け、その周囲にはいくつもの建物を配していたことが確認されたのです。



平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区には例のない東の張出し部を持ちます。この張出し部の南半は、奈良時代をつうじて「東宮」とよばれたようですが、孝謙・称徳天皇の時代にはとくに「東院」とよばれていました。
称徳天皇はこの地に「東院玉殿」を建て、宴会や儀式を催しました。最近の研究では、光仁天皇の「楊梅宮」はもとより、聖武天皇の「南苑(南樹苑)」もこの場所を中心として営まれていたとする説があります。いずれも発掘された「東院庭園」と深く関わる施設でしょう。



東院庭園は東西60m、南北60mの南から見て逆L字形の池を中心に構成されています。池の西岸には中央建物に付属する露台が水面に張り出し、露台から東岸には橋をかけています。池の北端には築山石組、西南部には中島があって、それぞれ庭園景観の焦点となり、屈曲する出島の先端部には景石が配されています。池底から岸辺にかけてゆるやかな勾配で小石を敷きつめた洲浜が出入りのある汀線をかたちづくっており、奈良時代の優美な庭園の様子がしのばれます。自然の風景を主題とした平安時代以降における庭園の原形ともいえる重要な遺跡なのです。



東院庭園の池は前期と後期の2時期に分けることが出来ます。前期の池は汀沿いの池底に大きな玉石を帯状に敷きつめていましたが、後期の池では池底から岸にかけて前面に小礫を敷き詰めた浅い池となっていました。池の形も前期の単純な逆L字形から、後期にはいくつもの入り江や出島をもつものに作り直されており、池の北岸には築山石組が新たにつくられました。奈良時代中頃の池のつくり替えにともない、建物も何度か建て替えられました。



東院庭園では池の北東方や中央に主要な建物を配しています。左に見える建物が中央建物、右奥に建つ建物が北東建物です。このほか、庭の南東隅でも特殊な建物跡がみつかっています。ごく最近の発掘調査で、逆L字形の特殊な平面配置をもち、頑丈な地盤固めをしていたことがあきらかになりました。正八角形(経約32cm)の柱も4本出土しています。しかし、建物の上部構造や意匠、庭園内で果たした役割などについては不明なところが多く、庭園空間全体との関係をふまえ、今後詳しく検討していく必要があります。

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東院庭園
●地図

●入場料無料。
随時ボランティアによる解説あり。
団体の場合の解説には予約が必要。

●休館日 月曜日(月曜が祝日の場合はその翌日)
年末年始 その他特別の場合

●開館時間 9:00〜16:30(入場は16:00まで) |
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