雄大な「盾列」残る一端
奈良盆地の北側を限る平城山(ならやま)は、標高90~100メートルほどのなだらかな丘陵です。その南斜面には、4世紀後半から5世紀中頃にかけて、数多くの古墳が築かれました。佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群と呼ばれる全国有数の古墳群で、墳丘の長さが200メートルを超える巨大な前方後円墳が8基も含まれています。
周囲に濠(ほり)を巡らせた前方後円墳は、上から見ると古代の盾のような形をしています。盾形をした巨大な前方後円墳が列状に並ぶ姿から、古墳群はいつしか「盾列」と呼ばれるようになりました。
8世紀の初め、古墳群の南に平城京が建設されると、いくつかの古墳は、その造成工事で壊されてしまいました。墳丘の長さが250メートルもあった市庭(いちにわ)古墳も前方部が完全に壊され、その上に宮殿が建設されたことがわかっています。この時の破壊がなければ、巨大古墳の「盾列」は、今よりもいっそう雄大な姿を見せたことでしょう。
その一方で、垂仁天皇陵(宝来山(ほうらいさん)古墳)のように、壊されることなく、平城京内に残された古墳もありました。古墳群は平城京建設の300年ほど前に造られたもの。一部の古墳については、被葬者が誰であるのか、まだ人びとの間で語り継がれていたのかもしれませんね。
平城京建設の約300年前に築かれた佐紀盾列古墳群
(奈良文化財研究所主任研究員 廣瀬覚)
(読売新聞2016年7月24日掲載)