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(117)平城京の橋

解体しやすい簡易構造

 わたしたちが住む街中を流れる川、その上には橋がかかり、絶え間なく人や車が往来していますね。こうした光景は古代も変わりませんでした。

 奈良時代の平城京、碁盤目のように走る道路が、川や運河を渡る場所には、木製の橋がかけられていました。

 1982年、東堀川の発掘調査で、運河にかかる橋が見つかりました。橋の幅は2・7メートルで、長さは約12メートル。2本一対の橋脚を4組、運河に打ち込み、対になる橋脚の頂部をつないで橋の土台(梁(はり))としていました。橋の部材は落下していましたが、土台の上に長い材木(桁)を渡し、そこに橋板を敷き並べるだけの簡易な構造の橋が復元されました。橋板は両脇を角材で押さえ、洪水時にすぐに解体できるように、縄でしばっていたようです。

 また、平城宮の東南の隅近く、二条大路と東一坊大路の交差点からは、道路側溝にかかる橋の跡と、欄干を飾った擬宝珠(ぎぼし)が見つかっています。擬宝珠は焼き物製で、完全な姿で残っていました。欄干を擬宝珠で飾ったのは、二条大路が平城宮に面し、東大寺へと向かう重要な道路だったためでしょうか。

 この擬宝珠、日本で最も古い擬宝珠です。日本の伝統的な橋の定番ともいえる欄干の擬宝珠、1300年も前から続く息の長いデザインだったのですね。

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二条大路と東一坊大路の交差点で出土した擬宝珠

(奈良文化財研究所主任研究員 青木敬)

(読売新聞2015年9月13日掲載)

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