土師器製作 女性の仕事
平城京で日常的に使用された土器には、素焼きで赤っぽい色の土師器(はじき)と、窯で焼かれた灰色の須恵器があります。このうち須恵器は、大阪府や奈良県の窯で焼かれたもののほかに、遠く愛知県や岐阜県でつくられ、都に運ばれてきたものもありました。
一方、土師器は、その多くが平城京の近郊でつくられたと考えられています。平城京で使われた土器は、税として納められたものや、商品として流通したものがほとんどですが、中には役所が直接作り手に土師器の生産を依頼することもあったようです。
その土師器づくりの様子を伝える史料が『正倉院文書』の中に残っています。それによると、土師器づくりは、一組の男女によっておこなわれています。実際に土師器をつくるのは女性で、男性は土器づくりに必要な粘土を掘ったり、薪(まき)を集めたり、できあがった土師器を平城京へ運ぶ作業を担当しました。
この土師器づくりに対して、役所から出来高払いで工賃が支給されました。89日間の労働で、つくられた土師器は、総数4416口にのぼります。
長屋王邸の発掘でも、出土木簡から、邸宅内に土師器を製作する女性がいたことがわかっています。土師器づくりは女性の手によるものが多かったのかもしれませんね。
平城京跡から出土した土師器と須恵器
(奈良文化財研究所主任研究員 大澤正吾)
(読売新聞2014年11月2日掲載)