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(73)姿を現した西の大寺(上)

八角塔 謎めいた説話

 小学校の教科書にも出てくる東大寺に比べると、西大寺は少し影が薄いかもしれません。とはいえこの西大寺、奈良時代後半に称徳天皇によって造営された当時は、東大寺に並ぶ平城京の西の大寺でした。

 その壮大な奈良時代の伽藍(がらん)は、度重なる火災や災害によって次第に失われ、現在の主要な建物は、江戸時代に復興されたものです。

 東大寺に比べると不明な点の多い西大寺ですが、戦後、奈文研を中心に進められてきた大小70回を超える発掘調査によって、創建当時の姿が徐々に明らかになりつつあります。

 たとえば、現本堂の前に巨大な基壇と礎石が残る東塔跡。現在の基壇は四角形をしていますが、1956年の発掘調査で、基壇の周囲から八角形の掘込地業(ほりこみちぎょう)(土を一度掘り出した上で、突き固めて地盤を強化する作業)が確認されました。同様の痕跡は1989年の西塔の発掘調査でも見つかっています。

 平安時代初期に書かれた『日本霊異記(りょういき)』には、時の権力者藤原永手が、西大寺の八角七重塔を四角五重塔に変更したため、地獄に落ちたという謎めいた説話があります。永手が地獄に落ちたかどうかはさておき、発掘の成果は、たしかに造営当初には八角塔を造ろうとしていたことを示すものでした。

 次回も引き続き、発掘調査で姿を現した奈良時代の西大寺を紹介したいと思います。

 

(73)姿を現した西の大寺=上.jpg

西大寺西塔の発掘調査の写真。確認された掘込地業の跡が八角形になっている

(奈良文化財研究所研究員 諫早直人)

(読売新聞2014年9月28日掲載)

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