古代のボーナス―季禄の品々 現物支給 市場で交換も
今日のサラリーマンのボーナスは、明治時代に始まったとされています。ところが、藤原宮や平城宮で働く古代の役人にも「季禄」とよばれるボーナスがありました。
律令の規定によると、季禄は年に2回、2月と8月に支給されました。支給されたのはあしぎぬ・綿・布・鍬(くわ)・糸・鉄といった6種類の物品で、支給額は位によって異なりました。711年には、季禄の一部を和同開珎で支給するようになりましたが、基本的には物品の支給が続きました。
さて、古代のこうした季禄の制度は、中国から採り入れたものです。しかし、日本とは異なり、中国の季禄は基本的に米が支給されました。中国の制度をお手本としながら、日本ではなぜ、「季禄」にさまざまな物品を支給したのでしょうか?
ヒントは、当時の日本の税の制度に隠されています。季禄として支給された品々は、各地から税として中央に納められたものです。しかもこれら季禄の6品目は、いずれも貨幣のように広く社会に流通していた物品です。このため役人たちは、季禄の品々を市場で必要な物資とスムーズに交換することができたのです。このように古代のボーナスから、当時の納税の仕組みや、交換経済のようすを知ることができます。
(奈良文化財研究所飛鳥資料館研究員 丹羽崇史)◇イラスト・岡本友紀
(読売新聞2014年3月16日掲載)