身分に応じ国から支給
広大な敷地に立派な建物。著名人の豪邸を紹介するテレビ番組を、羨ましく眺めることがあります。
平城京の住民の宅地は、国から身分(位)に応じて支給されました。
位の高い貴族の邸宅は、庶民とは桁違いの規模を誇っていました。奈良時代前半の権力者、長屋王の邸宅は、平城宮に近い場所にあり、敷地は推定6万平方メートル、甲子園球場の約1・5倍の広さがありました。そこには間口が24メートル、奥行き15メートルの正殿をはじめ、格式の高い立派な建物が並んでいました。出土した木簡から、邸内で衣食住の準備から一通りの調度品の製作までがおこなわれたことがわかります。高位の貴族ほど平城宮に近く、しかも広い宅地が支給されていたのです。
それに比べると庶民の宅地は、長屋王邸とは比較にならないほど小さく、平城宮からも遠く離れていました。宅地内には小規模な掘立柱(ほったてばしら)建物が2、3棟と畑や井戸がある程度です。
それでも宅地面積が200平方メートル以上もあったことには驚きます。古代も今と同様に格差社会でしたが、わが家の面積は当時の庶民にも遠く及びません。
平城京の宅地の復元模型
(奈良文化財研究所研究員 森先一貴)
(読売新聞2014年1月26日掲載)