宮城門 特定氏族が配属
平城宮の正面中央に開く朱雀(すざく)門。平城遷都1300年祭で、この門を警護する衛士隊(えじたい)の姿が再現されたのを覚えている方もいると思います。今回は平城宮の警備の話です。
奈良時代の平城宮は、周囲を高さ6メートル近い築地塀(ついじべい)で囲まれ、内部も施設ごとに塀で区画されていました。そして、宮内への立ち入りや区画ごとの自由な出入りは厳しく制限されました。平城宮の警備を担当したのは、衛門府(えもんふ)・兵衛府(ひょうえふ)・衛士府(えじふ)という三つの役所。それぞれ警備する区画が違いました。その中で、平城宮に入る宮城門を警備したのは衛門府です。
衛門府には、古くから宮城門の警護に当たった特定氏族の出身者が配属されました。平城宮の宮城門が「佐伯(さえき)門」や「壬生(みぶ)門」のように、警備を担当する氏族名で呼ばれたのはこのためです。
兵衛府は、中央や地方の役人の子弟からなる天皇の親衛軍。彼らは天皇の住まいである内裏(だいり)の門をはじめ、重要施設の警備を担当。一方、衛士府に勤務する衛士は、交代で上京した諸国の兵士たち。宮内の諸門や役所の警備に当たりました。このように警備すべき門や施設の重要度によって、警備担当の役所も異なっていたのです。
平城宮散策の折に、それぞれの場所のセキュリティーレベルを考えてみるのも一興かも知れませんね。
平城宮跡に復元されている朱雀門(奈良市で)
(奈良文化財研究所研究員 川畑純)
(読売新聞2013年10月20日掲載)