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硯を読む

2014年4月

 現在、われわれが墨をする際に使う硯の多くは、石でできています(石硯・せっけん)。ところが、日本古代の硯の多くは焼き物でした(陶硯・とうけん)。陶硯が主流だったのは、古代東アジアのなかでも日本だけでした。

 さて、多種多様な古代の陶硯は、円形を呈するものが多く、円い硯の周囲に動物の脚を模した台を付けた硯(蹄脚硯・ていきゃくけん)や、透穴が入った末広がりの円筒形の台を付けた硯(圏足硯・けんそくけん)、なかには羊などの動物をかたどった硯もありました(形象硯)。このように、はじめから専用の硯としてつくられたものを定型硯(ていけいけん)と呼びます。平城宮内でも定型硯が多く出土するのは、朝堂院など限られた空間だけで、使用できる人は限られていたようです。

 定型硯以外に、食器などの土器を硯として使った個体が、平城宮や各地の官衙(かんが)などを中心に多数出土します。その多くは、須恵器杯の蓋や身を逆さにして墨をすったものです。硯以外の目的でつくられた土器が硯に転じたと考え、これまで転用硯と呼んできましたが、最近の研究では転用ではなく、はじめから硯として供された場合も多いようなので、杯蓋硯(つきふたけん)と呼ぶのが適当かもしれません。

 平城宮では、本来は液体を貯蔵する甕の破片を硯に転用した例も多数出土しています(甕転用硯・かめてんようけん)。むしろ古代の硯のなかで蹄脚硯や圏足硯は少数で、杯蓋硯や甕転用硯が圧倒的多数を占めます。ところで、甕の胴体は球形のため、机上で甕転用硯を使って墨を磨ろうとしても、前後左右にガタつき、不便です。では、甕転用硯はどういった状況で使うのでしょうか。

 ある日、わたしが甕転用硯の図面を描こうとした時のこと、対象の個体を手に乗せたところ、まさに手のひらサイズでしっくりとなじむことに気づきました。これがきっかけで、甕転用硯は手に持って使う硯と考えたのです。役人たちが物品の数量を管理する、あるいは行き交う物資にともなう伝票を記入するなど、現業部門では立った状態で文字を書く、すなわち硯を手で持つ場面がたくさんあったはずです。

 いっぽうの杯蓋硯は、筆洗や水差しとして使う杯身と蓋とがセットになり、杯身の上に蓋をひっくり返して乗せても杯身が台の役割も果たすので、机上でも安定しています。須恵器杯は、当時食器として大量に流通し、定型硯よりも安価に入手できました。平城宮内でも、定型硯以上に大量の杯蓋硯や甕転用硯が出土します。したがって、平城宮内で役人たちに最も馴染み深かった硯は、杯蓋硯や甕転用硯だったに違いありません。机上に据え置く硯、手持ちの硯、硯は使う人の身分や使用方法に応じて形が異なっていました。

 古代の役所で定型硯が出土した場合、その近くでデスクワークに勤しむ高級官人の存在がうかがえ、甕転用硯がたくさん出土すると、役人があわただしく動き回る現業部門が付近にあったと考えられます。みやこびとの実態解明に向け、考古資料と向き合う毎日が続きます。

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杯蓋硯(手前)と圏足硯(奥)

手前左、蓋の裏面には墨の痕跡が残り、硯として使ったことがわかる。蓋の右は杯の身。圏足硯は代表的な定型硯のひとつ。

      (都城発掘調査部主任研究員 青木 敬)

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