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「塩」の話

2013年12月

 吉田兼好の『徒然草』に「塩」は何偏か?と聞かれた人が「土偏」と答えて笑われたという話があります。「しお」の漢字は正しくは「鹽」で、「塩」はもともと俗字でした。このエピソードは、鎌倉時代にはすでにこれが俗字だと知らない人もいたことを物語ります。

 「塩」は現代の東アジアでも日本でしか使われていない字で、中国や韓国では「鹽」や、これを簡略化した「」が使われています。「塩」字の成り立ちには諸説ありますが、まだ結論は出ていないようです。日本で誕生した国字と考える説もありますし、中国や韓半島に祖型を求める人もいます。

 ところが、日本では奈良時代の木簡をみると、すでに「塩」字が一般的だったようです。奈良時代といえば、漢字が日本文化に浸透して間もない頃。なぜ、日本では「塩」字が早くから普及したのでしょうか。漢字の成り立ちは専門外ですが、全く違う観点から、想像を膨らませてみようと思います。ヒントは塩の容れ物と中身です。

 四方を豊かな海に囲まれた日本列島の人々は、縄文時代から海水を煮詰めて塩を作っていました。土器を使った製塩は、日本各地の海浜部で確認されていて、平城京や長岡京でもたくさんの製塩土器が出てきます。万葉集や古今和歌集に藻塩を焼く様子が読み込まれているように、古代の人々は藻を使って高濃度の塩水を作り、それを加熱して水分を飛ばすなどして海水から塩を作っていました。奈良時代になると煮詰めるのに鉄釜を用いたり、運搬方法も籠や俵を使うなど改良が重ねられて行きますが、土器に入れて消費地に運ぶ方法は、長岡京の時代まで盛んに行なわれていました。

 塩を入れて運んだ土器は、分厚くて砂粒がたくさん混じる粗製のものが一般的です。これに塩を入れたら、中身の塩より土器の方が重いくらいでしょう。俵か籠に詰め替えれば、輸送コストは減るはずなのに、あえて土器にいれて塩を運ぶには理由がありました。

 海水から作った塩は、苦汁(にがり)という塩化マグネシウムを多く含みます。塩化マグネシウムは空気中の水分を吸いやすいので、苦汁を多く含む塩はすぐに吸湿してベタベタな塩になってしまいます。古代の人々は、それを運搬してきた土器ごと火にかけて水分を飛ばすのです(これを焼塩といいます)。苦汁分の多くは運搬中に肉厚の土器に吸収されて塩に戻ることはありませんから、これを焼くことで苦みが少ないサラサラの塩が手に入るというわけです。この知恵は科学的な製塩技術が確立されるまで、日常生活に密着したものでした。江戸時代の遺跡からも塩を保管した焼塩壺が数多く出土しています。

 ここで「塩」字の話に戻りましょう。古代の人々は、現在の私達よりも、より厳密に漢字を使い分けていました。例えば、同じような形の器でも、木製なら「杯」、土製なら「坏」といった具合です。「塩」という漢字に「土」がつくことは、土器に塩を入れるのが一般的だった日本列島の人々にとって、連想しやすく馴染み深いことだったのではないかと思うのです。ちなみに、中国では「しお」は基本的に岩塩で、「鹽」字の右上の部品は塩が籠に入った様子を示すそうです。塩の種類や保管方法の違いなどが漢字の成り立ちに影響していたことは間違いないでしょう。漢字が普及していく過程で、いろいろな使い分けや選択が行なわれたのかもしれません。

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海浜部から都城に塩を運んだ土器

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平城宮から出土した木簡の「塩」(奈文研木簡字典データベースより)

(都城発掘調査部主任研究員 神野 恵)

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