2013年10月
近年ではパソコンが普及し、鉛筆やペンを握る機会は減ってきました。ましてや、毛筆で文章を書く必要は少ない時代です。
歴史研究室では、お寺などに遺された、古い書物や文書を調査しています。それら毛筆の資料からは、文章の内容のみならず、文字の雰囲気・モノとしての特徴も感じ取ることが出来ます。
書物でもフォーマルなものは、巻物の形で、活字のように綺麗な楷書で書いてあります。その書き方を実物で観察すると、必ず、最初に紙を貼り継いで長いロール状の紙をつくり、その後で、界線(罫線)を引いています。それから、その界線の間に文字を書いていくのです。最初に紙を貼り継いでしまったら、書き間違いがあっても、紙を取り替えるのは困難です。だからまず字を書いてから紙を貼った方が良さそうに思いますが、決してそうしていません。
下の図は中世の絵巻物で、文字を書いているところです。左側が、巻物に書いている場面です。座卓の上に紙が見えますが、長い紙の左右をロール状に巻き込んであります。人間がそこに身を乗り出すようにして、筆を執っています。正式な書物は、1点1画にも精神を集中させ、しっかり書こうという心意気なのでしょう。
一方、個人的な手紙は、自由なくずし字で書いてあります。我々としては、読むのも一苦労です。そして、中世以前の古い手紙は、決して紙を貼り継がず、バラバラの紙を使っています。その時に、必ず2枚の紙をセットで使っていて、1枚目は紙のオモテ面に、2枚目は紙のウラ面に書いています。もし書くことが1枚目で終わってしまった場合には、2枚目は白紙のまま付けてあります。
下の図の右側は、手紙を書いている場面です。机は使わず、左手で紙を持っています。その時、紙の左側を丸めて持って、右手で器用に文字を書いています。よく見ると、その紙は2枚がさねになっています。1枚ではペラペラなので、2枚重ねて丈夫にしているのでしょう。またこの書き方では、楷書では書けないでしょうから、流麗な草書をスラスラと書くことになるのでしょう。力を抜いて、自らの思いを記している風情でしょうか。
昔の人は、時と場合に応じて書き方を変えていました。そのような目で昔の文字を見ると、書いた人の力の入れ方が伝わってくるような気がします。
しかし、私は文字はまるで下手です。だから、左手で紙を持って、毛筆で上手に草書を書くなど、私にはとてもできません。ただし昔の人でも、時代や身分などによって字に個性はあります。だから自分の下手な字も、現代人の個性なのだろうと思って、自らを慰めています。
図:法然上人絵伝 知恩院所蔵(中央公論社『続日本絵巻大成』より転載)
(文化遺産部歴史研究室長 吉川 聡)