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鍛冶屋さんの利き腕

2013年8月

    しばしも止まずに槌打つ響
    飛び散る火の花 はしる湯玉
    ふいごの風さえ息をもつがず
    仕事に精出す村の鍛冶屋

 この歌を聴いて情景が目に浮かぶ方は、失礼ながらかなりのご高齢か、よほど鍛冶屋に興味のある人であろう。これは、熱した鉄を鉄槌で叩いて農器具などを作る、鍛冶屋さんの作業風景を歌ったものである。炎の中で熱せられて熱く赤い塊となった鉄に鉄槌を打ち付ける際に、熱い塊から剥がれた微細な鉄のかけらが火花や玉になって飛び散るのである。このとき鍛冶屋さんはどちらの手に鉄槌を握っているのか?これが些細なことのようでいて、実はとても重要なことなのである。

 私が以前訪ねたことのある鍛冶屋さんでは、刀鍛冶さん(刀匠)も農鍛冶(のうかじ)(村の鍛冶屋)さんも、皆さん右利きで、右手に鉄槌を握っているのであった。いろいろと聞いてみると、ほとんどの鍛冶屋さんが右利きであるという。そのため、鍛冶屋さんの仕事場は右利き仕様になっており、親方の位置を基準にして向かって左から鞴(ふいご)(あるいはブロワー)、炉、金床(かなとこ)、水桶の順に設備が並んでいる。親方は素材の鉄棒を左手に持ち、炭が熾って(おこって)いる炉の中にその先端をかざし、時おり左手で鞴を操作して炉へ送る風の量を調整しながら赤くなるまで熱する。程良い温度にまで熱したら、右隣の金床の上に左手に持った鉄棒の先端を置き、右手に握った鉄槌で叩きながら鉄を鍛え形を整えていくのである。

 鋏やカッターなど、現代は右利き用の道具や工具が多く見られる。道具の規格や設備の仕様は、生産の基本に関わる重要な問題。それは工業界でも鍛冶屋さんの業界でも変わりはない。では、鍛冶作業場の右利き仕様が一般化したのはいつ頃のことなのであろうか。

 中世から近世では、絵巻などに描かれる鍛冶屋さんはほとんどが右利きで、設備もそのように並んでいる。左足で鞴の操作を行っている様子が描かれたものもある。中には右利きにもかかわらず親方の右側に鞴が置かれている例もあるが、やはり少ない。中世から近世には右利きが一般的であったのだろう。

 では、奈良時代ではどうか。この時代の鍛冶屋さんを描いた絵巻物はないので、平城京で発見された奈良時代初めの大型の鍛冶作業場跡をみてみると、8人前後の鍛冶職人が一列に並んで作業した様子を窺うことができる。細かく分析してみると、作業場を覆う小屋の外側に背を向けて、左手に鉄素材、右手に鉄槌を握って数人が一斉に作業する様子が復元できた。これは多数の職人さんが一列に並んで同時に作業するには、設備配置や作業方法を統一する必要があったためと考えられる。鍛冶作業場の右利き仕様の源流は、ひょっとすると奈良時代初めの平城京にあるのではないか。そんなことからも、古代律令国家というものの一面が見えてきそうである。

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親方の位置と道具類の配置

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平城第486次調査出土の鉄鍛冶遺構(左から鞴座跡、炉跡、金床跡)

(都城発掘調査部考古第一研究室長  小池 伸彦)

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