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かたおもいの歌と土器

2013年7月

思い遣る すべの知らねば かたもひの 底にそ我は 恋ひなりにける   土垸の中に注せり

 上は万葉集巻四 707番の歌で、粟田女娘子(あわためのいらつめ)が若き日の大伴家持に贈った歌です。家持への「片思い」を「かたもひ」という土製のうつわに掛け、その伝わらぬ思いを吐露したもので、いわば告白の歌といえましょう。この歌、とりたてて秀歌というわけでもないようで、家持をめぐる作品群のなかに埋もれている感がありますが、しかしここで興味を惹くのが、歌中の「かたもひ」といううつわのことです。この歌は「かたもひ(片垸)の」、「土垸の中に注せり」とあるように、ある土器の内面に書きつけたもので、それは考古学で墨書土器と呼ぶものにあたります。「かたもひ」の「かた」は片、つまり蓋を欠くその状態を指し、「もひ」は毛比と書いて椀を意味します。「土垸」の「土」は須恵器でなく、土師器のことでしょう。

 ここまで来ると、「かたもひ」=土垸という古器名が出土土器のどれにあたるのか、さらに興味がわいてきます。結論をいえば、「かたもひ」は奈文研が「土師器杯A」に分類している食器(下図)にあたるようです。その根拠となるのが、出土土器に書かれた埦・垸という字です。平城宮では、これらの字を記した土師器杯Aがいくつか出土しています。ひとつは、この埦の勝手な使用を禁じた墨書をもつもの(下図左)、もうひとつは単に「水垸(みずまり)」とのみ底部内面に刻んだもの(下図右)です。埦には「まり(麻利)」という呼び方もありました。

 このように、古代の人々にとっての「埦」が、今の考古学上の分類では「杯」となっているわけで、真の名前と分類名とが必ずしも一致するわけではありません。しかし、古代人が用いた本当の器名を垣間見るとき、それには単に容器、食器としての意味だけでなく、そのモノにまつわる別の意味合いが秘められているように思われます。それはそうと、「かたもひ」の底に「片思い」の恋情を書きつけるというその発想は、斬新でなかなか面白いのですが、この恋は成就しなかったようです。家持は彼女に対して答歌を贈っていないようですし、兼ねてより歌を交わしていた坂上大嬢とは、数年の離絶期間を経て結婚しています。ということは、粟田女娘子からこの歌を受けたのは、家持の成婚以前と思われ、歌中の「かたもひ」もそれ以前、おそらく天平年間(729~749)の前半のものであったかもしれません。

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土椀

(都城発掘調査部主任研究員 森川 実)

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