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弥生水田からコウノトリの足跡を発見

2011年6月

 今から15年も前、1996年の春だった。大阪府埋蔵文化財センターの井上智博さんから、東大阪市と八尾市とにまたがる池島・福万寺遺跡の弥生時代の水田跡を発掘しているのだが、鳥の足跡がたくさん残っているので種類がわからないだろうかと電話がありました。

 この遺跡は生駒山の西麓にあたり、弥生時代から現代にいたる水田が折り重なって残っていることで知られています。なぜ重複したかというと、この地は水はけが悪く、梅雨や台風シーズンには数えられないほど洪水が生じ、そのたびに大量の泥や砂が運ばれ、徐々に堆積が進んだからです。

 足跡が残されていた水田は、弥生時代前期、約2400年前のもので、まず、最初の洪水が起きて水田全体を黒い泥で覆った後、その上を人間や鳥類が歩きまわって、足跡を残したのです。そして次に生じた洪水が、今度は白い砂を運んできたため、足跡の凹みが砂で埋まったのです。

 残念ながら、このときは私の都合が付かず、現地に行けなかったのですが、石膏型をとって送ってくれるように依頼し、やがて足型が届いたのですが、私のもとには他の鳥類の足型の標本もなく、ただ大きかったので「サギくらいの大きさですね」といい加減なことを答えたように思います。そしてその足型は、そのまま一四年間、私の研究室の引き出しに入れられたままでした。

 ところが、2010年2月12日、私の研究室に、兵庫県立コウノトリの郷公園の前の園長で、昨年、英国で不慮の事故により亡くなられた増井光子さんと、同公園の獣医師、三橋陽子さんが来訪されたことが、長年、頭の片隅にひっかかっていた足型を解決する糸口となりました。

 お二人とお話しをしている折りに、私はその石膏型を出して、「コウノトリの足跡ではないでしょうか」とお見せしたところ、「可能性はあるでしょう」とのお返事をいただき、後日、コウノトリとアオサギの足型をお借りすることができ、弥生水田の石膏型とを比較したところ、まさしくコウノトリだという確信に至ったのです。

 ツルの足跡は、弥生水田の足型とは全く違うので最初から除外しました。そしてサギの指は細く、開く角度もコウノトリに比べて狭いという特徴があります。コウノトリの指は太く、そしてその間に小さな水かきがあるので、サギの足跡とは大きく異なります。

 弥生水田の足跡も、重ねてみれば、まさにコウノトリと特徴が一致したのです。

 その時、弥生水田にコウノトリが多数、舞い降りていたとしたら、弥生人とコウノトリとが,日常生活でも身近な関係だったことを物語る証拠だと気がつきました。

 実は弥生時代の銅鐸に描かれた「長頸長脚鳥」(首と脚の長い鳥)が、ツルかサギかという長い間の論争があって、私も動物考古学を専門とするのでその話題にも注目はしていました。コウノトリを意識して銅鐸絵画の鳥を見ると、どれもがその三本の指が大きく開いて表現されており、これはサギではなく、コウノトリだと気がついたのです。

 ツルかサギかという論争が、実はコウノトリだったという決定打になったのです。これまで、銅鐸絵画の鳥の絵は、ツルが稲穂を落としたとする穂落神(ほおとしがみ)の伝承からツル説があり、その後、魚を捕っている特徴や、古代中国の伝説から類推したサギ説が有力視されていたのですが、それがコウノトリだったとすると、別の解釈が必要になります。

 まあ考古学は、理屈より事実が優先するのだと気楽に考えていす。

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画像提供:早川和子氏

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写真提供:大阪府文化財センター

(埋蔵文化財センター長 松井 章)
※肩書きは執筆当時のものです。

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