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石室は満天の星空

2004年12月

 明日香村キトラ古墳の石室は満天の星空である。天井いっぱいの星(星宿という)は天空の王者である北極星を中心に、北斗七星など300余りの星、太陽と月、太陽の軌道の黄道や赤道などを表す。

 星との間、軌道は朱線を引き、星には金箔を貼っている。石(墓)室は奥行き約2.4メートル、幅約1メートル、高さ約1.2メートルの空間であり、この小さな天井にこれだけ多くの星を表わすのは、大変だったに違いない。

 では、この星空は何のためのものだろうか。少なくとも、天文少年だった墓主人が死後もゆっくりと鑑賞するため、ということではない。なぜなら、こうした星宿は宇宙の象徴であり、墓室がひとつの宇宙を表すからである。言い換えると、ここに眠る墓主人はひとつの宇宙の王者となるのであり、天井の星宿はそのことを表している。云うまでもなく、中国の思想である。

 遠い昔、中国では天子は権力のよりどころを天上の星に求めた。天上世界が地上を創造した時に、支配を地上の天子に委ねたことがきっかけという。地上の天子はその証として、地上の都を天上世界に模したのである。しかしなぜか、ドーム(球形)状にみえる天上を写した地上は、方形であった。「天円地方(天はまるく地はしかく)」であり、藤原京以降の都が碁盤目であることの理由である。

 藤原京の中心には宮城(藤原宮)があり、これまた中心に大極殿がある。中国の太極殿にならった殿舎で、名前の由来は太極星(北極星)であり、天子が北極星と交信する装置であった。キトラ古墳の星宿はこれと同じ思想にもとづいている。

 こうした思想的背景がある星空の下に眠る墓主人は誰か。中国思想に通じた人物として真っ先に挙げられるのは、天武天皇である。672年の壬申の乱では道教の式占(ちくせん)によって自ら戦況を占ったというほど中国思想に通じていた。高松塚古墳の発見時にも候補者になった経緯(いきさつ)がある。

 しかし、天武の陵は明日香村野口にある天武持統合葬陵であって、動かない。次なる候補者としては、中国思想に通じた渡来人かその子孫か。遣唐使として彼の地で唐文明を体験した人物が浮かぶ。年代や、副葬品などからみてふさわしい候補者がいるかどうか。

 発掘調査が終了し、キトラ古墳の墓主人をめぐる捜査が本格化するのはこれからである。 。

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(飛鳥藤原宮跡発掘調査部長 金子 裕之)

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